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【スキル】続・英語プレゼンが死ぬほど苦手なあなたに僕の「秘密の極意」を共有します

シンガポールの高層マンション。窓の外には、けたたましいサイレンを鳴らしながら、ドリアンを満載したトラックが爆走している。いや、それは昨夜見たただの夢だ。現実世界では、ドリアントラックは走っていない。昨夜の熱帯の夜は、いつも刺激に満ちていた。まるで、五感を刺激するカクテルを飲んだ後のように、僕は興奮と不安が入り混じった奇妙な高揚感に包まれていた。

今日は、前回に続き、英語が苦手な僕が、どのように英語など他言語でプレゼンテーションをくぐり抜けているのか、もう一つの例を紹介しようと思う。

今週は、毎日のように大小様々なイベントのオープニングスピーチを任され、アジア太平洋地域から集まった聴衆を前に、僕はまるで怪しげな呪術医のように舞台に立っている。聴衆の視線は、まるで熱帯の太陽のように、僕を容赦なく照らしつける。僕は、その視線に耐えながら、言葉を探し求めて、心の奥底を彷徨っているのだ。今日もこの後、世界各国から集まったオンラインとオフラインの聴衆2000名に、僕のオープニングスピーチが予定されている。今日はステージに立った僕がその場しのぎでどんなサプライズを巻き起こすのか、自分でも楽しみだ。

シンガポールという小さな島国は、人種のるつぼ、文化の坩堝、カオスの渦。マレーシア、インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナム、香港、中国、台湾、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランド…。挙げればきりがない。様々な国籍の人々が、まるで奇想天外な生き物たちが蠢く、熱帯雨林のように、この街で暮らしている。

Googleで働く僕にとって、この多様性は刺激的な日常だ。仕事はもちろん、日常生活でも英語が共通語だが、時に英語以外の言語が、予想外の奇跡を生むことがある。特に、プレゼンテーションの場で。それは、まるで、単調なメロディーに、突然、異国の楽器の音が加わるように、聴衆の心を揺さぶるのだ。

毎日のように続くスピーチの中で、僕はある秘技を編み出していた。それは、オープニングスピーチの際に、聴衆の母国語で挨拶や自己紹介をすることだ。まるで、カメレオンが周囲の色に溶け込むように、あるいは、ジャズミュージシャンが即興演奏で観客を魅了するように。

例えば、昨日はアジア太平洋地域各国から来た40名ほどの顧客の重役たち向けの特別イベントのオープニングスピーチを務めた。僕は聴衆の顔を見ながら、こんな事を考えていた。そう、シンガポール人、韓国人、オーストラリア人などが多いと思っていたら、意外にもインドネシア人の顔ぶれが非常に多くいたのだ。そこで僕は、こう問いかけてみた。

「インドネシアから来た人ー?」

そう問いかけると、インドネシアから来た人たちが、熱狂的に手を挙げる。まるで、バティック柄のシャツを着た人々が、一斉に踊り出すように。

すかさず、僕はインドネシア語で「スラマシアン、ナマ サヤ ヨシ、クナルカン」(こんにちは、私はよっしーです。はじめまして!)と挨拶する。すると、彼らの目は驚きと喜びでいっぱいになる。まるで、ナシゴレンを前にした時のような輝きだ。あるいは、乾いた大地に雨が降り注ぐように、彼らの心に、僕の言葉が染み渡っていく。

タイ人が多そうな場であれば、「サワディーカップ、ポム チュー ヨシ、インディーティーダイルーチャックラップ」(こんにちは、私はよっしーです。はじめまして!)など長めのフレーズをスムーズに言えると、きっとタイ人は普段以上の微笑みをみせてくれるだろう。

10年前、僕は英語力ゼロでシンガポールにやってきた。まるで、ジャングルに迷い込んだ子鹿のように、あるいは、大海原に漕ぎ出した小舟のように、不安と期待で胸がいっぱいだった。

しかし、実践を通して英語を学び、さらにマレー語、インドネシア語、タイ語、ベトナム語、タガログ語、中国語、韓国語も、客いじりのために習得した。まるで、様々な毒を持つ植物を食べて、免疫力をつけた探検家のように、あるいは、様々な楽器を演奏できるようになった音楽家のように、僕は多言語を操る術を身につけた。

ヒンディー語とビルマ語にも挑戦したが、文字の壁に阻まれ、断念した。それは、まるで、高くそびえ立つ山脈に阻まれた登山家のように、あるいは、深い谷に阻まれた探検家のように、挫折を味わった瞬間だった。やはり、物事には向き不向きがあるので、僕はそれに抵抗せず受け止めることにした。

日本人は、語学学習において完璧主義に陥りがちだ。まるで、盆栽を完璧な形にしようと剪定し続けるように、あるいは、一枚の絵を完璧に仕上げようと筆を動かし続ける画家のように。しかし、言葉はコミュニケーションのツールであり、相手に気持ちが伝わればそれでいいのだ。

相手の母国語で挨拶することで、彼らの心を開き、親近感を与える。その後のつたない英語のスピーチでさえ、彼らは熱心に聞いてくれる。まるで、人気アイドルのコンサートに来たファンが、一言も聞き逃すまいとするように、あるいは、砂漠でオアシスを見つけた旅人が、水を飲むように。

もちろん、話せない言語を無理に暗記して、延々とスピーチするのは逆効果だ。それは、まるで、初めて会った相手に、自分の趣味のコレクションの7弦ベースギターを延々と説明するようなものだ。相手は、きっと、引いてしまうだろう。夫婦である妻や夫が、お互い初めて合った時のトキメキがいつまでも続かないのと同じように、無理をし続けている相手にはマンネリ化をさせてしまうかもしれないのだ。

コミュニケーションで大切なのは、相手の心に寄り添い、共感を得ることだ。言葉は、そのための魔法の杖なのだ。妻に毎日「愛している」と伝えても、そのうちスルーされてしまうかもしれないが、明治時代に夏目漱石が愛情表現として「月が綺麗でですね」と言ったように、意外性や驚きが、きっとあなたのコミュニケーションと聴衆との関係構築を助けてくれるだろう。

シンガポールの高層マンション。窓の外には、今夜は2024年のうち最も大きく見える“スーパームーン”が待っている。あなたなら「月が綺麗ですね」をどのように伝えるのか。少し考えてみると面白いかもしれない。

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