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【教育】海外で子どもの日本語を維持する秘訣 「息子の海外生活奮闘記」
シンガポールの高層マンション。窓の外には、燃えるような夕陽が、空一面に広がっていた。オレンジ色や赤色のグラデーションが、まるで、神様が描いた抽象画のようだった。僕は、冷えたアイスコーヒーを一口飲み、息子の原稿に目を戻す。それは、彼が心血を注いで書き上げた、初めての作品だった。小説と呼ぶにはあまりにも繊細で、エッセイと呼ぶにはあまりにも詩的な、不思議な輝きを放つ作品。それは、まるで、彼の魂の叫びが、言葉となって形作られたものだった。
息子がシンガポールにやってきたのは、日本の小学校の入学式を終えたばかりの、最初の夏休みのことだった。あの日、まだ幼かった息子は、真新しいランドセルを背負い、希望に満ちた瞳で、この未知なる島国へと足を踏み入れた。以来、彼はインターナショナルスクールの門をくぐり、英語の世界へと飛び込んだ。家では日本語で話すものの、学校ではもちろん、友達との会話もほとんどが英語。日本語に触れる機会は、まるで都会の喧騒の中に咲く一輪の野花のように、儚く、そして貴重だった。
しかし、驚くべきことに、彼の日本語力は、決して衰えることなく、むしろ力強く根を張っていた。漢字も難なく読み書きし、複雑な言い回しや慣用句も、まるで生粋の日本人であるかのように、自然に、そして美しく使いこなしていた。彼の日本語を聞いていると、まるで、タイムスリップして、古き良き日本の時代に迷い込んだような、不思議な感覚に陥った。
少し前までは、彼の日本語は、まるで生まれたての小鳥のように、頼りなかったものだった。ひらがなを覚えるのにも苦労し、漢字はほとんどチンプンカンプン。簡単な絵本を読むにも、何度も指で文字を追いながら、ゆっくりと読み進めていた。それが、ここ数年で、まるで毛虫が蝶へと変態を遂げるように、美しく、そして力強い日本語へと変化したのだ。
きっかけは、彼が日本語の本の世界に足を踏み入れたことだった。それは、まるで運命の出会いだった。図書館で偶然手に取った、一冊の小説。そこから、彼の読書の旅が始まった。彼は隙間時間を見つけては、取り憑かれたかのように小説を読み漁った。そして、まるで乾いたスポンジが水を吸い込むように、小説から、日本語を吸収していったのだ。
日本の古典文学に傾倒していった時期もあった。源氏物語、枕草子、徒然草…。それらの作品に触れることで、彼は、日本語の持つ奥深さ、美しさ、そして、儚さを、深く理解するようになった。まるで、古代の日本人の魂と、時空を超えて対話しているようだった。
例えば、ある時、息子は、源氏物語を読み終えた後、しばらくの間、物思いにふけっていた。そして、僕にこう言った。「お父さん、光源氏は、どうしてあんなにもたくさんの女性を愛したんだろう? そして、どうして、あんなにも苦しんだんだろう?」僕は、息子の真剣な眼差しに、少し戸惑いながらも、答えた。「それはね…光源氏は、永遠の愛を求めていたんだと思う。でも、この世に永遠のものなんてない。だから、彼は、いつも満たされない想いを抱えていたんだ。そして、その苦しみこそが、彼の人生を彩っていたんだと思う」息子は、僕の言葉を静かに聞いていた。そして、ゆっくりと頷いた。「…なるほど。深いね」
また、ある時は、枕草子を読み終えた後、息子は、目を輝かせながら、こう言った。「お父さん、清少納言って、すごい人だね! あんなにも、日常の些細なことに、美しさや面白さを見つけるなんて! 僕も、もっと、周りの世界に目を向けようと思ったよ」僕は、息子の言葉に、心から嬉しくなった。そして、こう言った。「そうだね。清少納言は、本当にすごい人だ。彼女は、まるで、魔法のレンズを持っているみたいだね。日常の何気ない風景を、キラキラと輝かせることができるんだ」
息子は、古典文学だけでなく、現代文学にも、広く深く親しんでいた。村上春樹、川端康成、三島由紀夫…。様々な作家の作品を読み込むことで、彼は、日本語の表現力、そして、人間の心の奥深さを、さらに深く理解していった。
ある日、息子が僕に尋ねた。「お父さん、『幽玄』ってどういう意味?」僕は、少し考え込んでから、ゆっくりと答えた。「それはね…言葉で説明するのは難しいんだけど…例えば、深い霧の中に浮かぶ、静かな湖のような…神秘的で、奥深い美しさのことだよ。あるいは、月の光に照らされた、静寂の庭…みたいな。あるいは、静かな森の奥深くで、ひっそりと咲く、一輪の花…みたいな」息子は、しばらくの間、じっと僕の目をみつめていた。そして、静かに頷いた。「…なんとなく、わかった気がする。ありがとう」
息子の日本語力は、近い将来、他人の本をまったく読まない僕を軽く超えていくだろう。彼は、まるで言葉の魔術師のように、日本語を自在に操っていた。彼の書く文章は、繊細で、優美で、そして、どこか哀愁を帯びていた。それは、まるで、彼の心の奥底に広がる、広大な宇宙を映し出した、一枚の絵画のようだった。
息子の日本語力は、彼のたゆまぬ努力の賜物だろう。しかし、同時に、彼の置かれている環境も、大きな影響を与えているのかもしれない。シンガポールという多文化社会で、彼は、英語だけでなく、中国語やマレー語など、様々な言語に触れる機会があった。そして、それらの言語を学ぶ中で、彼は、日本語の持つ独特の美しさ、奥深さを、改めて認識したのではないだろうか。
息子は、日本語の才能を開花させる一方で、英語のスキルも、着実に伸ばしていた。彼の英語力は、もはやネイティブスピーカーと遜色ないレベルに達しており、中学生にしてTOEFLでも100点を取得するほどの実力を持っていた。彼は、フォーマルな場では、洗練された美しい英語を話し、友人と話す時には、スラングやジョークを交えたカジュアルな英語を話すなど、まるでカメレオンのように、状況に応じて、適切な英語を使い分けていた。
例えば、ある日、息子がインターナショナルスクールの母国語スピーチコンテストで、堂々とスピーチを披露したことがあった。テーマは「多文化社会におけるアイデンティティ」だった。彼は、流暢な日本語で、自分の生い立ちや、シンガポールでの生活、そして、多様な文化の中で育つことの喜びと挑戦について語った。彼のスピーチは、聴衆の心を強く打ち、大きな拍手喝采を浴びた。
また、彼は、英語のディベート大会にも積極的に参加していた。鋭い論理的思考力と、豊かな表現力を駆使し、相手チームを論破していく姿は、まさに圧巻だった。彼は、まるで、言葉の剣闘士のように、英語という武器を巧みに操っていた。
息子のこの驚くべき成長を目の当たりにするたびに、僕は、父親としての喜びと、一抹の寂しさを同時に感じていた。喜びは、言うまでもなく、息子が、様々な困難を乗り越え、大きく成長した姿を見られることだ。しかし同時に、息子が、僕の手の届かないところまで、大きく羽ばたいていこうとしていることに対する、一抹の寂しさも感じていた。
息子は、もう、僕の手を離れ、自分の道を歩み始めている。それは、自然なことであり、喜ばしいことでもある。しかし、それでも、僕は、息子が、いつまでも、僕の小さな息子でいてほしい、という、エゴイスティックな願いを抱いてしまうのだ。
先日、息子が、珍しく、僕に悩みを打ち明けてきた。「お父さん、僕は、将来、何をしたいんだろう? シンガポールで暮らしたい気持ちもあるし、他国で暮らしたい気持ちもある。でも、どっちを選んでも、何かを失ってしまう気がするんだ」僕は、息子の言葉に、深く共感した。そして、こう答えた。「それは、難しい問題だね。でも、大丈夫。焦る必要はない。ゆっくりと考えて、自分の心に従えばいい。もし、迷ったら、いつでも、僕に相談してくれ。お父さんは、いつでも、君のそばにいるよ」
息子は、僕の言葉を聞いて、少し安心した表情を見せた。そして、こう言った。「ありがとう、お父さん。」息子の言葉に、僕は、目頭が熱くなった。
息子の変化を目の当たりにして、僕は改めて確信した。海外生活で日本語を維持する秘訣は、結局のところ、本人の内なる情熱に尽きるのだ、と。日本語補習校や漢字ドリル、公文式…。そういったものは、あくまで補助的なものに過ぎない。子供が心から日本語を好きになり、学びたいと思わなければ、どんなに強制しても、効果はないだろう。
息子は今、原稿の完成に向けて、最後の仕上げをしている。僕は、彼の邪魔をしないように、静かに見守っている。彼の部屋から聞こえてくる、キーボードを叩く音。それは、まるで、彼が自分の魂を込めて、物語を紡ぎ出しているような、神聖なリズムに聞こえた。
先日、息子が書き上げた原稿を読ませてもらった。それは、まるで、彼の心の奥底を旅する、不思議な冒険のようだった。喜び、悲しみ、怒り、希望…様々な感情が、繊細な筆致で、丁寧に描かれていた。僕は、読み終えた後、しばらくの間、言葉が出なかった。
「…これは、すごい」
僕は、心の底から、そう言った。息子は、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「お父さんみたいに、いつか、本を出版したいんだ」
息子のその言葉に、僕は、目頭が熱くなった。息子は、僕を目標に、日本語で文章を書き続けているのだ。
シンガポールの高層マンション。窓の外には、夜明け前の空が、淡い紫色に染まり始めていた。それは、まるで、新しい一日が始まることを告げる、希望の光のようだった。僕は、空になったアイスコーヒーのグラスを眺めながら、息子の未来に思いを馳せた。彼の本が、もうすぐ世に出ようとしている。そして、彼の言葉が、世界中の人々の心を揺さぶる日が来るかもしれない。その時、僕は、どんなに遠く離れていても、心から、彼を応援しているだろう。
息子の原稿を読み終え、僕は静かに窓辺に立った。外は、シンガポールの喧騒が始まりつつあった。クラクションの音、バイクのエンジン音、人々の話し声。様々な音が、まるでオーケストラのように、街に響き渡っていた。
僕は、深呼吸をして、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そして、心の中で、息子に語りかけた。「頑張れ、息子よ。君の未来は、無限の可能性に満ちている。自分の信じる道を、力強く進んでいけばいい。お父さんは、いつも、君の味方だよ」
息子の部屋から、かすかに、キーボードを叩く音が聞こえてきた。それは、まるで、彼が、未来に向かって、力強く歩みを進めているような、そんな力強い音だった。
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