「親の死に目に会えない」ということ
夜に爪を切ると、「親の死に目に会えない」という迷信があるのをご存じの方も多いのではないでしょうか。
これは全国共通なのかな。
私の周りでは、よく言われていたし、子供たちも知っていました。
「親の死に目に会えない」というのは、親が死ぬ瞬間に立ち会うことができない、という意味で捉えている人が多いと思いますが、実際には「親よりも先に死ぬのは親不孝」というのが元々の意味だそうです。
どうして「夜に爪を切ると」という話が広まったかというと、手もとが狂って怪我をするから(そしてそれが致命傷となって死ぬこともある)という説、あるいは飛んだ爪が目に突き刺さり、視力を失うから、という説もあったり。
思うに、現代の爪切りが発明される前は、小刀などで切っていたらしいので、暗いところで爪を切ると怪我をする可能性が高かったのかも?
真相は謎ですが、私はよく夜に爪切りをするんですけど、親の死に目に会えていないので、図らずも迷信を証明してしまった形です。
親より先に死ぬ、ってことは回避されましたけどね。
母と父の最後、似ている点
5年前に母が他界し、先週は父が他界しました。
この両親の最後は、妙に共通点があります。
とは言っても、珍しいことではないですけど、シチュエーションがかなり似ています。
①1年以上の入院中だった
②特に病名(ガンなど)がある重病ではなかった
③そもそも高齢のため徐々に衰弱
④病院から呼び出しがあった
⑤危篤とは聞いてないのでぼちぼち行った
⑥向かってる途中で「いつ着くか」の電話あり
⑦病院に着いたら事切れていた
という感じです。
母も父も同じようなパターンでした。
母の時は、「具合が良くなさそうなので、今から来られますか?」という感じ。
父の時も、「今朝から元気がなく、今後の治療方針について医師から説明があるので来られますか」といった連絡でした。
どちらも、あと少しで病院に到着するというタイミングで「いまどこですか?いつ着きますか?」という連絡がありました。
「今向かってます。もうすぐ着きます」という、そば屋の出前みたいな返事をして、「もしかしてヤバいのか?」と悪い予感がよぎります。
その時点では、もう心肺停止状態になっていたと思われます。
病院関係者の方がこの記事を見てるかどうかは分かりませんが、家族を動揺させないための呼び出し方の決まり文句でもあるのでしょうか。
とにかく、病院からの呼び出しの第一報は、意図的なのかどうなのか、それほど切羽詰まっていない様子で連絡があります。
その時点で、何を差し置いても最優先で駆けつけていれば、あるいは間に合っていたかもしれません。
分かりませんけど。
「ご都合がいい時間に」みたいな表現をされると、「じゃあ午後○時頃なら行けます」のような段取りになってしまいます。
過去の数少ないケースでは、それでは間に合わなかった、ということです。
家族に見守られ、「今までありがとう」というのが最後の言葉だった。
とか、
「犯人は K ・・(ガクッ)」
のような、ドラマチックな最後は、滅多にあるものではないんですね。
私は義父・義母も含め、すべての親が亡くなりましたが、4人とも「たどり着いたら亡くなっていた」というパターンでした。
夜に爪を切っていたせいかどうかは分かりませんけど。
教訓
病院から呼び出しがあった時には、第一報で切羽詰まった感がなくても、何を差し置いても駆けつけること。
結果、元気そうだったり、持ち直したりして、何度か繰り返すことはあるかもしれませんが、それはそれで良しとする。
父の場合、最後は寝たきりだったし、いつかはその日が来ると覚悟はできていたので、取り乱したり悲しんだり、という感情はそれほどなくて、落ち着いていたと思います。
ただ、火葬場で、顔の部分の扉を閉じる直前、顔を拝める最後の最後、「さよなら」と声をかけた時だけ、さすがに「うっ」となりました。
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