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インターネットは視野を狭めるかもしれないので要注意

人生の格差は情報の格差と言っていいくらい、今の世の中は情報が溢れすぎていると思っています。
情報、たくさん、多い。

多すぎるがために、逆に「本当に欲しい情報」にはたどり着けない、ってこともありますね。
ググっても広告やスポンサーばかりでムキー😠、とかね。

何か具体的なことを調べるために、能動的にキーワードをサーチすることもありますが、ニュースやSNSや配信については、自分の好みや欲しいものが優先されて出てくる、つまり「キュレーション」のような作用が働いていることも多いです。
ショッピング系のサイトなら「リコメンド」と呼ばれます。

そもそも、フォローやブックマーク(お気に入り)は、そのために存在しているわけです。

ただ、日頃からちょっと興味を持ってクリックやタップで開いたページ、ってのが、知らないうちに追跡&蓄積されて、だんだんと「あなた好み」の情報が絞り込まれていく、というのが現在のインターネットです。

記事だけじゃなくて広告もそうですね。
むしろ広告のほうが露骨ですが、個人の興味や感心を察知して、巧みに「あなたはこれがスキでしょ」という情報を押し出してきます。

今回の記事は、自分で選択した情報、つまり特定の人のブログとか、特定のメディア、SNSのフォローなどだけに、日々接していると、知らず知らずのうちに思考が固まってしまい、視野狭窄になっていくという話。

知らず知らずのうちに

ってのが厄介ですね。

自分では全く気付かないうちに、徐々に情報の範囲を狭められている、という現象が起こっているのは事実だと思います。

自分では、広大な海を泳いでいるつもりが、実は直径5メートルの生け簀の中で泳いでた、みたいな。

毎日のように触れている情報が、リスペクトする何人かのインフルエンサーの意見だけだったりすると、いつの間にか「それこそが唯一の正解」、のような錯覚に陥ってしまう、という危険性があるように思います。

ネットやメディアで、幅広くインプットをしているつもりが、逆に視野狭窄を誘引していないかは、立ち止まって考えてみたほうがいいんじゃないか。

特に、「働き方」「生き方」「教育」「お金」など分野では、その傾向が顕著な気はしています。

だれか声の大きな人が「こうだ!」と断言したら、それが正解のように思えてしまう。その方針に従ってみたところで、全然自分には合わない、ということもあるはずです。

オールドメディアの功罪

新聞、雑誌、テレビのように、昔から存在する情報媒体は、近年のネット世代からは、もう不要なものという扱いを受けている傾向があります。

CMだらけ、広告だらけとか、情報が偏っているとか、意図的にねじ曲げられてるとか、「マスゴミ」などと揶揄されることもありますね。

「インターネットがあるから、そんな古いメディアは不要」と言っている人たちは、ネットも全く同じこと(広告だらけ、情報の偏りや意図的なねじ曲げ)があるって気付いてないんでしょうか?

それは置いといても、最近は全然売れなくて廃刊が相次いでいる雑誌や新聞などの「紙のメディア」を例にとると、特定の記事や特集だけを見たくて買っても、他は全く見ない、というのは難しいんですよね。

どうしても、目当てのページをめくる時には、パラパラと他の記事も目に入ります。
そこに、自分が全く興味や関心がなかったことで、偶然「未知との出会い」起こることもあります。
ふと目にとまった鮮烈な写真や言葉が、人生に影響をおよぼすこともあります。
セレンディピティ」と呼んだりしますが。

もちろん、ネットでもそれは起こり得ることは否定しません。
が、意図的に自分が選んだ情報(フォローやブックマーク)、または勝手に自分好みに絞り込まれていくリコメンドやパーソナライズが、気付かないまま「視野を狭める」ことがあるのは要注意、ってことでした。

わざわざ、自分の全く知らない領域や、これまで興味がなかった分野の情報に触れる、ってことも大事なんだと思います。

視野を広く持って、柔軟に考えられるほうが人生は豊かになるだろうし、人の意見に左右されずに、自分の判断に自信が持てるようになると思ったので書いてみました。



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