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実家の父の部屋を片付けていて、亡き父を思う
実の親が亡くなった時、「実家の片付け」というのは、中高年の大きな悩みというか、課題のひとつだと思います。
もちろん、兄弟姉妹がいる場合は、そちらにお任せして、自分では特に何もしないという場合もあるでしょうけど。
私の場合は、やらねばならぬ立場。
まあ実家はすぐ隣だしね。
いつでもできると思ったら、なかなかできんのだけど。
少しずつ。
今日は父の部屋の古い本棚を片付け。
と言っても書籍はそれほどなくて。
物持ちがいいのか、なんと何十年分もの仕事のスケジュールノートが、ほこりをかぶって本棚に残っていました。
おそらく毎年職場関係で無料でもらっていたのであろう、黒い表紙の大判のノート。
全部を確認したわけじゃないけど、だいたいは仕事の簡単なメモのようでした。
途中、飛んでいる年もあったとは思うけど、なんとまあ私が生まれた年のスケジュール帳も発見されました。
驚きです。
物持ちが良すぎないか?断捨離が苦手か。
ちょっと背徳感を抱きつつ、ドキドキしながら、私が生まれた日を見てみると・・
「息子誕生」とだけ😅
・・・
シンプル過ぎるやろ。
しかも、翌日から一泊二日の出張に行ってた。
出張から帰って、すぐに別のところに旅行に行ってた。
何やってんだか・・。
昔の時代の男性サラリーマンは、そんな感じだったのだろうか??
昭和だね。
まあ職場関係の予定が先に決まってたんですね。
旅行から帰って、誕生から8日後、「息子命名」とだけ記入あり。
名前すら書かれてなかった😅😅
おいっ。
淡泊か。
命名したなら、名前くらいメモしといたほうがいいと思うぞ。
時は流れて。
私の高校卒業の年のノートが発見されました。
卒業式の日なんて忘れていたけど、3月10日だったようです。
たぶん、この時点では大学進学は決まっていたはず。
その日のメモ。
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達筆すぎて、解読は怪しいけど。
「息子 卒業式
早や息子が卒業と 我が年令を思う」
と書かれていました(たぶん)。
父は、ちゃんと書けば字は上手い方だったと思いますが、おそらく普段は寝床で寝転んで、うつ伏せ姿勢で殴り書きをしていたのでしょう。
ほとんどが雑な筆跡で読みにくい。
でも、よく考えると、私が高校卒業の年の父親は、今の私よりも年齢は若かったはずです。
今年、娘が中学卒業の年ですが、我が年令は思わないな。
親子とは言っても、だいぶ意識は違うのだな。
時代も違うけど。
本人はもうこの世にいないと言っても、プライバシーに関わるところなので、あまりじっくり見ることはないでしょう。
ってか、さっさと片付けを進めろや、という感じ💦
しんみりしてる場合ではありません。
ジャラジャラと小銭の音がする貯金缶を見つけた時のほうがときめいたけどね✨
未開封です。
まだまだ先は長そうですが、少しずつやっていくしかないです。