ハードル
4月と5月は密度が高くて、異様に長く感じる。
高い気温も相まって、実は忘れてしまった6月7月があったのではと回らない頭でくだらないことを考えた。
もうすぐ5月も終わりのようで、そろそろ勉学に本腰をいれなければと気持ち焦る。
先々週くらいに「地獄の1週間」と命名した週があって、あの時の “ この1週間さえ終われば解放される “ という思考に私は今悶々としている。
別段「地獄の1週間」が終わったところで何かに解放された覚えはない。
変わらず日常は騒音を背負って付きまとってくるし、いつもと変わらず時間は足りないままだ。
やることは常に山積みで一つ一つ消化する端から新しいやることを与えられる。
僅かな休む暇を作ってまた作業に戻る。
社会に組み込まれているうちはずっと変わらない。
生まれた時からずっと目の前にハードルを置かれているのだ。
「地獄の1週間」はハードルが高かった。
でもその先にもハードルは途切れることなく続くのさ。
人生の節目では度々異様に高いハードルを課せられて、飛び越えられない時に人は挫折を味わう。
過去、私がどうしてもハードルを超えられずにいた時、『10代の壁』というものを考えた。
割と頑張れば越えられたハードルから、そのうち越えられないハードルも出てきて、その時だよな。
めっちゃくちゃ悩むわけ。
なんせ経験がない。
名付けて10代の壁だ。
これを知らずになぁなぁで社会出ると辛そうだよね。大人になってから罹るおたふく風邪のが辛い的な。
壁の向こうが見えないから果てしなく絶望するのさ。どんな選択をしても案外道はあるもんだけど。
なんて言っている私自身未だ壁を越えていないから笑えない。
越えることじゃなくて、越えられないことを理解した上で、とった行動がきっとこれからの自分に必要になる。
その選択を間違えるのが怖いのかもな。
あの頃の私はハードルをあるべきものと捉え、そのハードルに向き合っていた。
今の私は、途切れることのないハードルの数に辟易として、何故常に試され続けなければいけないのかと憤りを覚えている。
私の、次に聳え立つ馬鹿高い壁は「ハードルを越える意義を見つけ出すこと」だろうか。笑ってしまう。
あの頃、壁と認識していた馬鹿高いハードルを私は結局越えていたのだ。
今度こそ私は折り合いをつけなければいけないのかもしれない。
きっとそこが一つの別れ道。
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