見出し画像

君たちの人生は運ゲーだという話


イケメンが勝ち、ブサイクは負け


どうも、yoshiです。

今日は、ほとんどの人の
人生は運ゲーだという
残念すぎる現実を
突きつけようと思います。

でも大丈夫です。
運ゲーを実力ゲーに変える
唯一の手段がありますので、
今日はそれも
伝えていきます。


ーーー 君たちは
まず、生まれた瞬間に
勝敗が決まる。

イケメンとして生まれると
人生は華やかになる。

ブサイクとして生まれると
人生は暗黒に包まれる。

なぜなら
イケメンというだけで
好青年の印象を持たれるし
清潔感を感じられるし
社会に出てやっていけそうだし
仲間も自然と寄ってきて
女の子にもモテるからだ。

一方でブサイクは
自分から努力しなければ
悪い印象を避けられないし
友達も作れないし
もちろん女の子とも付き合えない。

だがもちろん、
それだけで人生の全てが
終わるわけではない。

そこからの長い人生をかけて
「救われる人」と
「救われない人」に
選別されていくのだ。

最初に「顔」で決まった
勝敗だが、
ここから怒涛の
敗者復活戦が始まる。

次の運要素は「金」である。

金といっても
親が持っている金なので、
自分の実力どうこうではない
完全な運要素なのである。

親の性格ももちろん影響するが、
筆者が最も重要視しているのは
家庭の経済状況だ。

金持ちの親のもとに生まれた子供は
基本的にイケメンだったり
オシャレだったりモテたりしている
ような気がする。

半分くらいは偏見だが、
金持ちの子供の方が
学校でも優位だったり
生活が豊かなので、
そうなるのは必然だと思う。

そして学校での運要素について
たしかに友達や先生との出会いで
多少人生は変わっていくが、
同じ学校を卒業していく過程で
中学までは全員同じだし
運要素はからまない。

高校や大学についても
結局は学力も、学費も、
家庭の経済状況が
大きく関わってくるので
あまり変わらないと考えている。

したがって、
「顔」「金」の
次に来る運要素は
社会人になったあとだ。

自分の会社での立ち位置を
左右する「上司」である。

正直、学生時代の教員からも、
会社に入ってからの先輩や
幹部社員にすら
よく言われたことがある。

実力はもちろん大事だけど、
結局それを拾い上げて
さらに押し出してくれる
有能な「上司」に当たらないと
会社で上を目指すのは
難しいということだ。

つまり、運要素が絡んでくる。

「顔」で勝利した人間は
最初から華やかな道をたどる。

「金」のおかげで
一命をとりとめた人間は
豊かで楽しい人生を
歩むことができる。

最後に有能な「上司」を
引き当てた人間までが
なんとか豊かな生活を
手に入れることができる。

それ以外の人間はどうか・・・

それ以外は、残念ながら
「敗者」として
人生の消化試合を
のそのそと歩くだけだ。

毎日満員電車に揺られて
同じ通勤路を歩き
同じオフィスで
同じ仕事を
同じメンバーと
淡々と繰り返す日々。

たまに起きるイベントや
飲み会、小さな趣味、
偶然出会った運命の人
日々のちょっとしたことに
なんとか幸せを見いだしながら
生き甲斐を感じている。

だが、人生スケールでは
何も変化していない
つまらない日常でしかない。

仕事ではストレスが溜まり、
飲み会では愚痴を言うだけ言って
酔い潰れて気持ち悪い思いをする。

二日酔いで具合が悪いのに
またつまらない仕事をしに
わざわざ同じ会社まで向かう。
満員電車でだ。

会社に行けば、
上司や客先からの
苦言が飛び交ったりする。

偶然出会った運命の人はというと
最初の頃はホヤホヤで
それなりに幸せだっただろうが、
時間が経つにつれて
いて当たり前の存在になる。

「いて当たり前の存在」とは
一見素敵な家庭にも見えるが、
現実は、毎日喧嘩するか、
一切口を聞かないか、
どちらかがどちらかをなじるか、
尻に敷かれてこき使われる。

そんな毎日を、
死ぬまで繰り返すだけ。

それ以上の世界を
見ることはなく、
唯一見られるとしたら
新婚旅行で海外に行った
一日目くらいだろう。

あとは死ぬまで、
毎日同じ景色、
同じ建物、同じ人、
帰っても同じパートナー、
何一つ変わらない毎日を繰り返し、
だがストレスは、
日々積み重なっていく。

同じことを繰り返していると
人間は時間の進みを
とても早く感じる。

新しいことに挑戦しまくると、
たった1ヶ月でも半年くらい
やってたように感じるのに。

「顔ガチャ」に当たらず
「金ガチャ」にも当たらず
「上司ガチャ」も見事に外した
ほとんどの人間は、
こんなつまらない人生を
消化することになる。

人生が豊かになるか
消化試合になるか
それは紛れもなく

運ゲーなのである。


だがこんなことを言うと、
国民の99%以上が
絶望にうちひしがれて
寝たきり状態に
なりかねないので、
希望を与える話を
しようと思う。

先ほど言ってきた
「運要素」というのは、
実は全て
「取り決められた枠組み」の中でしか
作用しない要素なのである。

つまり、
みんなが歩いている
同じレールの上、
みんながプレイしている
同じゲームの中では、
「顔ガチャ」か
「金ガチャ」か
「上司ガチャ」に
かけるしか選択肢がないが、
そもそも
別のレール、
別のゲームをプレイしていれば
そんな概念が存在しなくなる。

取り決められたレールには
たくさんの人間が歩いているので
「この顔は通過できる」
「この顔は脱落」といった
選別を行うための
残酷なレールが敷かれているが、
誰もいない別のレールに行けば
顔に関係なく通過することができる。

「金」や「上司」も同様だ。

つまり、「取り決められた枠組み」とは
一体何なのかというと
ほかでもない「常識」なのである。

同じ道を歩いている、
その全員を成功させることはできない。
レールのキャパオーバーなのだ。

だからこそ、
人生の過程にて
選別が行われる。

まずは「顔」。
成功者として
世界に向けて顔を出したとき
ブサイクよりはイケメンの方が
恥ずかしくないだろう。
だからイケメンは優遇される。

次に「金」。
親に権力があれば
その威厳や人脈を
子供が引き継いで
社会を回すことができる。
だから金持ちの子は優遇される。

そして「上司」。
上司としても
全ての人間を成功者にする
わけにはいかないから、
一人か二人しか
目をつけることができない。

しかも、仮に直属の上司に
目をつけてもらえたとしても
さらにその上の上司からの
選別に引っかかれば、
水の泡となる。
あまりにも確率が低い。

ゴッドフェスなんて
当然開催されない。

だからこそ、
厳選された人だけが
成功者となる
挑戦権を与えられる。

さらにそこで
実力を残し、示した者だけが
晴れて成功者となるのだ。

人生がこんなにも運ゲーなら、
諸君がやる気をなくすのも
たしかにうなずける。

一方で別のレール、
すなわち
誰も歩いていないような
「常識から外れた道」を
歩んでいる人間は、
運ゲーでスタミナを消耗している
人たちを横目に
スラスラと歩き続けることができる。

中星マインドという界隈は
この最たる例である。

無差別にナンパをしまくることで
「顔ガチャ」を外しても
成功者になることが可能だ。
同級生にモテないなら
ブスやババアから口説けば良い。

ナンパした女のヒモになることで
「金ガチャ」を外しても
成功者になることが可能だ。
親に金がないなら
女に出してもらえば良い。

フリーランスや恋愛コンサルの
事業を個人で始めることで
「上司ガチャ」なんて
そもそも引く必要すらなくなる。

周りからは
好きでもないブスやババアを
口説くことであったり、
女にお金を払わせて
ヒモになることであったり、
会社にも勤めず
ナンパの発信でお金を稼ぐなんて
批判される可能性が高い。

だが実際に、
まだ誰も走っていない
中星マインドというレールを
気持ちよく駆け抜けているのは
俺たちだ。

みんながマラソンコースを
ヘトヘトで走っている中、
車で手を振りながら
「じゃ、おさき〜」
とやっているようなものだ。

たしかに、
走っている人からすれば
「俺たちは体力勝負で
苦しい中戦っているのに
なんだあいつは!」と
思うかもしれない。

だが、
楽をしているのは
ほかでもない
俺なのである。

ここで、例え話をしよう。

本州横断企画を
みんなでやることになった。

スタートの合図と同時に
ほぼ全員が
青森から山口に向かって
走りはじめた。

だが俺は、
一人だけ
自動車学校に向かった。

みんな免許を持っていないから
しかたなく足を使い、
時間をかけて
少しずつ走ろうとしている。

ほとんどの人間は
「みんなちゃんと走ってるから」
という理由で
一緒になって走ると思うが、

俺は
「免許を持ってないなら
取ればいいじゃないか」
という発想にいたり、
走るのをやめたのだ。

無事免許を取得し、
レンタカーを借り、
走り出す。

ごぼう抜きである。

みんなへばったように
途中で倒れていたり
実家に逃げ込んだり
民泊で寝込んでたり
しているなか、
俺は優雅に車で
彼らを横切っていく。

彼らからは
ブーイングの嵐だった。

だが、優勝は俺だ。

しかも俺は、
そのノリで
九州の鹿児島まで行った。

もはやここまでついて来れる人は
誰一人としていなかった。

つまり、
ブーイングをしてくる
人が物理的にいなくなった。

みんなと違うレールを駆け抜け、
みんなを追い抜くときは
たしかに批判されるが、
駆け抜け終わった頃
そいつらはもう
遠く離されすぎてしまい、
ゴミのように小さくなり、
何も声が聞こえてこなくなる。

なんともかわいそうな話だが
みんなと同じレールとは
そういうことである。

常識を外れたものは
途中で叩かれ
苦しい思いを
するかもしれないが、
駆け抜け終わった頃には
叩いてたやつらの
存在そのものが
消え去るのである。

今回伝えたかったことは2つ。

常識の上で戦うのは
大変な上に「運ゲー」であること。

そして、
常識外で戦うことで
運に左右されない「実力ゲー」
あるいは簡単に
駆け抜けられる「ヌルゲー」
をプレイできるということだ。


常識人の諸君

運ゲーの人生

せいぜい頑張ってくれ


yoshi

いいなと思ったら応援しよう!