旅行101 古典



私自身は色々な博物館へ行って、じっくりと色々な展示物を観る時間を過ごしていきます。

それらの博物館の中には、大昔の時代の展示物を観られる機会もあります。

その展示物の中には、大昔の時代に生きていた文章が書かれている資料までも展示されてる場合もあります。

実際、そのような大昔の時代の資料を見かける機会があるというのは、日頃の生活で見られることができないので、とても貴重な機会です。

ただ、その資料に書かれている文章を読んで理解しようと努めてと、現代で使用している言葉とは、また全然違う文章なのでなかなか読むことができません。

せっかくとても貴重な資料があっても全く読めない状況というのは、大昔の人達の考えてることや感じてることを知る機会がどんどんなってしまうことなので、とても損をしてる気分です。

昔の使用してる言葉を誰かが現代語訳をしてくれたもので、少しは昔の人達の考えてることや感じていることが理解できるようになります。

ただ、いつまでも誰かが現代語訳をしてくれた文章でないと、昔の時代の書かれた文章をあまり理解できないままになってしまいます。

言葉というのは、私達があまり意識してない間に20、30年経つだけでも、使わなくなってしまった言葉があったり、新たに使われる言葉もあったりします。

同じ日本の国であっても、大昔の人達と使う言葉が大きく違うというのは、言葉は生き物で、年月が経つとともに変わってくることに気づかされます。

歴史をもっと知っていこうすると、昔の人達が使用してきた文章も読んで理解したくなってくるので、古典を勉強していく必要性を感じてきます。

大昔の人達が書いてきた文章の資料を読んで理解できるようになる人が増えていくことで、もっとその資料が現在まで存在している価値を感じます。

もう1000年以上の年月を経ってる作品の文章を読んで理解して、楽しんだり、共感できるようになれる状態というのは、大昔の人達の生きている世界がどんどんわかってきて、生きていく中でとても素晴らしい体験になります。

特に、大昔の車がない時代での生活してる人達の体力や身体運動に関して書かれている文章には、とても注目しています。

歴史の勉強だけではなく、古典の勉強もすることで、もっと自分自身の知る世界が広がっていき、日本という国や日本人というもの素晴らしさをもっと知っていけることでしょう。

旅行で色々な場所へ出掛けていくと、私自身はもっと興味を持つことが増えていき、勉強することがどんどん楽しくなってきます。

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