"定期的に"じゃなく、"適当"でいいから
今日、同級生の美容師の友人の美容室へ髪を切りに行って再開した。
社会人になって十数年ずっと1、2ヶ月に一度通っていたが、
約1年半前コロナの第2波か3波あたりで行くのをパタっとやめてしまっていた。
行かなくなったのは、コロナで都会に移動するのが少し億劫になっていたのと行くのに1時間ちょい時間がかかって、床屋よりも値段も高し、一度、地元の床屋でも行ってみるかと思って、何気なしに変えてみてから、気がついたら1年半、2年近くその床屋に行き続けていて、月日が経っていた。
ちょうどメンタル的にも人と会うのがつらい・・・と思っていた時期とも重なる。
2021年11月にiGENE社の”自力で前を向くトリガーを引けるようにする合宿”に参加して以来、今年はアウトプット中心の生活にしていこうと思っていた矢先、ふと気分転換に久しぶりに友人の美容室へ行ってみようかと思い立った。
美容室ではこの2年分の話を2年前からの続きのように話始め、そこそこ盛り上がった。
仕事の話
コロナの話
成人式の話(美容室なのでこの時期は忙しいという話)
母校の話
車の話
昨日車が壊れた話
これからの話
帰り際、
「毎月は来れないかもしれないけどまたちょいちょい来るわ」と私。
「適当でいいからな。定期的にじゃなくていいからww」
と彼。
店を出てしばらくして、「定期的にじゃなく、適当でいいから」
という言葉が頭に蘇った。
私の
やり始めたら止まらないストイックな性格
頑張りすぎてしまう性格
猪突猛進な性格
を汲んでのことかはわからないけど、
なんとなく暖かく、感謝の気持ちがを感じた。
”定期的に”を意識すると、やらなきゃいけない義務感が多少なりとも湧く。
それを無意識に意識しないように仕向けてくれた感じだろうか。
2005年新卒で入社以来、だんだん白く、少なくwなっていく髪を切ってくれてきた友人。
その友人の”肩に力が入っていない何気ない言葉”で、
私の凝り固まっている”肩の荷が降りた”気がした。
気が向いたらまた行こうくらいの感覚でよい。
多分そんなこと全く考えておらず、ふっと思いついただけだろうが
「みる人は見てくれて、的確なことを言ってくれている」となんとなく、
結論づけた。
そんな言葉をここに書いた意味で勝手に解釈して、
ポジティブな午後に繋げることができた自分も捨てたもんじゃない。
気張らず、自分が出せるサードプレイス。
意図的にではないが疎遠になっていたそんな場所を
改めて実感できたことに感謝したい。
ストイックな瞬間も必要だけど少し立ち止まることも大事。
そんな時にこのフレーズを思い出したい。
そういえば、入社してちょっとしてまだまだ行ってやるぞーって感じで仕事していた頃、フジファブリックよく聞いていたなと。
もう一度、前に進み出す、トリガーは自分で引く。
そのための曲をもう一度聞いて沁み込ませる。