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こういうことをしようと思ったきっかけはなんですか?

 ・・・とよく訊かれることがあります。
「こういうこと」は今のNPO法人としての活動ですね。

実は答える形は数パターンあります。
その時の気分で変えます(笑)

①「生まれてから今この瞬間までが今ある僕の理由」
と言うこともあります。
②ボクサー時代から引退して、心理カウンセラー学校に行って引きこもりサポートをやって・・・と今までの様々なボラティア活動を具体的に語り、それがきっかけと話すこともあります。

どちらも嘘ではありません。
でもあえてピンポイントできっかけを語るなら『あともう一つ』の話があります。

これは活動ではなくプライベートなのですが32歳の頃につき合っていたパートナーのことです。
彼女は当時で僕と同じ32歳でした。けど高校生くらいからある精神疾患にかかっていました。
『境界性パーソナリティー障害』です。

医学的に語るのは難しいのですが簡単に説明しますと・・・

幼児さんてお母さんに構ってほしくてワザといたずらしたりしますよね。
小学生くらいでもあるかもしれないですが。
それの成人バージョンなのです。
成人バージョンは大変です。
そのパートナーとの間にこんなことがありました。

僕は中野区でパートナーは千葉県内に住んでいました。
夜になると彼女から電話がきます。
それは普通ですよね。
けれど99%酔っぱらっています。
宝焼酎のワンカップを2本が平常運転でした。

少し酔った状態で
「寂しい…寂しい…会いたい」
しかし彼女の一人暮らしの家までは1時間強。電話は深夜0時頃にかかってくるのでとても行くことができません。
それで「ごめん。行けないよ。少し話そうか」と言うと
「なんで!私のこと好きじゃないの?好きならタクシーでもなんでも乗ってくるでしょ!もういい。(手首を)切ってやる」
とリストカットが始まります。

リストカット実況中継を聞かされながら、それでも落ち着かせようと夜中の2時3時まで話してやっと電話が終わる。
それで翌朝、スイッチがオフになった彼女が泣きながら
「ごめんなさい。なんで飲んじゃったんだろう。切っちゃったんだろう。もう絶対にやめるね」
そんな毎日。

そして仕事が休みで明日会える・・・そんな前日になるとグレードアップします。宝焼酎ワンカップ2本が900mlのパックに増量。一晩で飲みます。
何故休みの前日にこうなるかというと仕事終わって終電でもいいから来てほしいわけです。だからたくさん飲んでたくさんリストカットしてより心配させる。何度かズブロッカ(ウォッカ)700mlを一晩で空けて翌朝僕がパートナーのアパートに行ったら一切反応なく、「アル中で死んだんじゃないか」と思い外から大声でずっと呼んで。もちろん両隣の住人も出てきて。結局泥酔で寝ていただけなんですが、部屋の中はインスタントコーヒーの中身が散乱し熱帯魚の水槽がひっくり返っていて魚は干からびていて。

僕はそんな日々が続きながらも1年付き合った後に結婚を決意しました。
その前段階として1年間同棲し、僕はコンビニで独立しようという運びになりました。
同棲の間も壮絶でした。毎日毎日宝焼酎。
何故伊藤は止めないのか?と思われそうですが、こうした行動は境界性パーソナリティー障害のいわゆる「構って行動」という認識だったので僕はあえて態度としては「勝手に飲めば?」という姿勢でした(心の目は光らせてましたが)。『構って行動』を構ってしまうと、いわゆる共依存状態になり結果としてパートナーの行動が酷くなってしまうと思ったのです。

・・・とまあ書くとこの10倍はいろいろ書けそうですがとにかくそんな日々の中、彼女は半年同棲したある日・・・

精神安定剤をちょうど100錠飲んでしまいました。
けどこれ飲んだのは安定剤。
本当の自殺未遂ならば睡眠薬を100錠飲むはず。
じゃあこれも『構って行動』?

実は違いました。
死ぬつもりはなかったようですが彼女は僕にずっと伝えられなかった想いを手紙にしたためた上で薬を飲んでいたのです。

「お付き合いした1年半。私はあなたを男性として好きだと思ったことは一度もありません。でもあなたは優しかった。私がどんなに悪い子になっても許してくれた。だからあなたがいなくなったら絶望しか残らないと思った。あなたは頭がおかしい。こんなうんこみたいな私を、ボロ雑巾の私を毎日好きだと言っていた。そんな人はおかしい。頭がおかしい。でもありがとう。ありがとう」
こんな内容でした。
僕たちは別れました。

・・・パートナーと別れた数日後、既にコンビニ独立が決まっていた僕は研修がありコンビニ本部に行きました。
そしてその帰り。
千葉方面から東西線で高田馬場に帰ってきたはずの僕は何故か再び西船橋方面のホームに行きベンチに座っていました。どのくらい座っていたかは覚えていません。そして頭の中で
「死ねるか。死ねるか。死ねるか」を連呼していたら突然背後から
(幻聴)「死んでしまえ!」
と聞こえました。そこで僕は我に返り走って地上に出て偶然見えた精神科の看板を見つけて飛込みました。

適応障害
という診断でした。

・・・
・・・
・・・
彼女の抱えていた『境界性パーソナリティー障害』
これは幼い頃に愛情を受けてこなかった子どもの反動的な疾患です。
子どもだと『愛着障害』なんていう名称は聞いたことある人は多いのではないでしょうか。専門的な断言はできませんが、その延長線上にこの障害があると思います。

彼女も幼少期ずっとネグレクトを受けていました。

笑われるかもしれないですが僕にはいまだに「彼女を幸せにできなかった僕」
という後悔があります。

別れて3年後くらいだからお互い37歳ころだったでしょうか。共通の知り合いから
「○○ちゃんね。倉庫整理のバイトを自分で始めて。辞めちゃったけど1ヶ月頑張ったよ」と知らされました。
生まれてから一番・・・身内が亡くなった時以上にこの時僕は人目をはばからず泣いてしまいました。
嬉しかった・・・

37歳で彼女は生まれて初めて。バイトも含めて始めて自力でお金を稼いだのです。

・・・いやいや!ハッピーエンドで終わっちゃいけません。いかんのです。

これからこの国を担う子ども達から、もう彼女のような生きづらさを抱えて行く子を出したくないんです。これは・・・今回は細かく書きませんが私たち大人が食い止めなきゃいけません。
大人の皆さん。お願いです。
争いをやめて、そのエネルギーを子ども達に。

お願いします。


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