DDTの3者に共通するもの
やっぱりDDTなんだな、と気づいた仕事の人間関係。
以前書いた続き。
Aさんは不在だったけど、Bさんと打合せ。
Bさんから見える構図は
Aさんは迫害者
Bさんは救済者
私は犠牲者
おそらくAさんから見える構図は、AさんとBさんが入れ替わっている。
TEDにひっくり返すために、私はクリエイターを目指したい。
悪い人間関係に気付いてからの打合せだったからか、
打合せ終了後の疲弊感が少なかった。
なんで疲弊感が少なかったのかな?何をしたのかな?
・Bさんの話を聞く(いつも通りな気もする)
・言うことは言う(これもいつも通りな気もする)
・課題の分離ができた◎
→ 人の課題には踏み込まない。
自分の課題を明確にする。
・DDTに気付けたから、人間関係を俯瞰して見れた◎
→ 見えたけど、他の人のDDTには介入しなかった。
疲弊感が少なかったものの、もやもやを抱える。
そんな中、PPC中間アセスメントでの問い。
私のもやもやの箇所はここだった。
私も人に幸せにしてもらおうと思っているのでは?と気づく。
迫害者&救済者に幸せにしてもらおうしていたのかもしれない。
クリエイターになるために私に足りなかったものは
自分で幸せになろうとする気持ち・覚悟。
このDDTにいたとしても、
自分で幸せになろうとする気持ちが大切。
そして、この人間関係を本当によくしたいのか?という疑問もわいてくる。
仕事をする以上は良い関係にしたいので、TEDを目指したい。
でも、果たしてこの仕事はいつまで続くのか?
仕事が終わる形でDDTが消滅するのか、
TEDに変わってDDTが消滅するのか。
とにもかくにも、課題の分離は大切なんだなという気づき。
人の負の気持ちに巻き込まれないで済む。
終わった後の疲弊感が少なかったのは課題の分離ができたから。
次の打合せは、自分で幸せになろうとする気持ちをもって望む。