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罪悪感

半分照れ隠しで、次女に対してツンケンした態度な息子。
そんな態度も、周りの人には姉弟愛と見抜かれている。

息子の個人面談でも、次女が動けなくて休んだ日の話になった。

息子がお昼休みに担任の先生にいつもと違う調子で「帰りたいな~」と話したそう。
先生が理由を聞くと、休んでいる次女が心配と言う。
自分の思ったことが周りに伝えられるようになった息子に対して、次女はなかなか伝えない。そんなところまで息子は先生に話したらしい。

その話を聞いたとき、その日は映画を見に行って回復したんですよ、と話してしまおうかと思った。学校休んで映画をに行き回復させたという出来事に、長女と同じく息子に対する罪悪感を感じたからだと思う。
息子の学校不適応の時は、まだポジティブ心理学を学ぶ前だったので、なんとか学校に連れて行っていた。

映画を見に行ったことを話してしまいたかった理由を考えてみた。
・息子に対する罪悪感を晴らしたい気持ち。
・学校を休んで娯楽へ行ったことへの懺悔。
・なにより、私が学んで行動を変えられたことを伝えたい。

結局、映画に行ったことを伝えなかったのだけども、3つ目は特に私の承認欲求なんだろうな、と思った。ここに書くので結局承認欲求を自分で消化し切れていないのだけども。

先日のCACの反転学習会で学んだネガティブ感情の一つ、『罪悪感』を復習すると、罪悪感の感情の元になる思考は『他人に対しての権利の侵害』。
私が罪悪感を感じることは、長女の辛い受験期間だったり、息子の辛い不適応期間への私の対応。
この時は長女と息子それぞれの権利を侵害していた数々の私の行動が浮かんでくる。罪悪感の元は「権利の侵害」と説明され、腑に落ちる。
そして、その後の行動として『正す、改める』。

振り返って、その当時は罪悪感を感じていなかったのだけど、今はとてつもない罪悪感を感じている。
その後の行動『改める』ができていることもわかった。
思ったよりも素直に行動できているものだな。

正直なところ、休ませて映画に連れて行くという行動がとれたことが、私にとっても驚きだった。こんな選択ができるようになったのだな、と同じことを繰り返さないでいられる自分もまた良いと思う。
その選択を後押しするのは、自分が子どもだったらどうして欲しかったのかを考えられるようになったから。
自分を大切にする、が難しかったのだけど、学ぶことで少しずつできるようになり、やっと小さいときの自分も大切にできるようにもなってきたのかもしれない。

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