「読み」「書き」練習としての論文執筆
概要
以下のnoteで、「商標実務の基本スキル」として「読み」、「書き」及び「そろばん」を挙げた。
筆者は、実務と並行して、1.5万~3万字程度の論文を執筆し、公表してきた。そのようなまとまった分量の文章を書くことは、これらのうち特に「読み」及び「書き」のスキル向上に資すると思われる。以下、筆者がどのようなことを考えながら執筆しているか、個人的な経験について述べる。
執筆の効用
相応の分量の論文を執筆しようと思うと、相応の数の裁判例、書籍、論文を読まなければならない。読む前の段階には、当然のことながら、それらを探す作業がある。そして、書く際には、形式面及び内容面のいずれからも、一貫したものを書かなければならない。
以上から分かるとおり、論文を執筆しようとすれば、あるテーマについて、調べ、読み、書く、という作業が必要となる。これらは、リサーチを行い(「調べ」)、資料を読み込んで理解し(「読み」)、成果物を作成する(「書く」)、という各業務に対応する。
文献等をリサーチする際には、さまざまな媒体に接する。どのような媒体にどのような論文等の情報が掲載されるのか、また、その媒体にアクセスするにはどこへ行けばよいか、どのような手続が必要か、などといった”土地勘”を養うには、実際にそれらを渉猟する必要がある。
業務からはやや離れつつも、広く、深く文献を読むことは、執筆に当該文献を使わなかったとしても、情報のインプットになることに変わりはない。情報のインプットはあればあるほどよい。
業務上、出来が良いとはいい難い成果物に接することがある。この場合の問題は、後述の形式面や内容面のコントロールができていないことのほかに、そもそもインプットの量及び質が不足・低い(たとえば、自身にとってアクセスの容易な、しかしながら、水準の高いとはいえない文献のみを参照している、など)、ということもあると思われる。それを矯正するには、良質な先行文献をできるだけインプットする必要がある。以上のようなリサーチ及びインプットは、良質な文献の”目利き”を鍛えることにもつながると思われる。
個人的な観測では、数千字の書面でも、形式面又は内容面をコントロールできていない(用字・用語が一貫していない、前後で矛盾したことを書いていることに気づかない、など)実務者が見られる。論文を執筆してまとまった分量の文章を書くことは、形式面及び内容面のコントロール向上にとって良い訓練になると思われる。
執筆の方法
資料の調べ方(リーガルリサーチ)やリーガルライティング、法律論文の書き方については、良書が複数、刊行されている。書店で探して(これもリサーチの訓練の一環といえる。)、良いと思ったものを参照されたい。法律に限らず、論文一般の書き方に関する書籍も参考になろう。
横田明美『カフェパウゼで法学を―対話で見つける<学び方>』193-225頁(弘文堂、2018)では、法学部における卒業論文の執筆指導が再現されている。これをガイドにするのもよいかもしれない。なお、同書には、資料の調べ方や論文の書き方に関する参考文献も掲載されている。
インターネットで閲覧できるもので、法学部性向けに、オーソドックスな論文の書き方を説明するものとして、栗田隆「懸賞論文の執筆案内 : 法律学の場合」関西大学法学会誌57号58頁(2012)がある。
テーマの選び方
好きなものを選んでよい。実務を行っていれば、気になる論点はたくさん現れると思われるので、それらのうち、興味、関心のあるものを選べばよい。ある論点について、調べてみたが飽きてしまったり、疑問点がある程度解消することもあると思う。その場合は、またほかの論点に移っていけばよい。最終的に、まだ誰も指摘したことがなさそうだ、などという発見ができれば執筆に着手すればよい。そのような下調べだけでも、十分にリサーチ能力は養えるし、インプットもできる。
個人的に、理想的と思っているテーマの選び方は、青木博通弁理士の次の考え方である。
ただ、「国内または外国で注目されはじめた問題」というのは、大抵「ナマモノ」なので、早期の執筆及び公表が望ましい。作業時間の確保の観点からは、執筆活動=営業として、平日昼間の執務時間を執筆に充てられる者であれば可能だろうが、執筆はあくまで副業という者(筆者もそうである。)にとっては、なかなか難しい。書いているうちに情勢が変化し、結局、公表できないといった事態にもなりかねない。
そこで、個人的には、そのような流行の論点を、執筆の対象としないことにした。代わりに、他のだれもあまり指摘していないような論点等を調べて執筆することにした。情勢の変化などを気にすることなく、マイペースに執筆ができ、気が楽である。
ただし、他のだれも指摘していないということは、多くの場合、重要度が高くない、需要がない、ということも意味するから、他者からの評価は期待できない。
投稿先の選定
知財分野は、他の法分野に比べて、一般からの投稿を受け付けている媒体が多いと感じる。ここでは、次の3誌についてコメントする。
なお、これら以外にも、『日本知財学会誌』や『IPジャーナル』などもあるが、前者は投稿資格が日本知財学会の会員に限られること、後者は筆者が投稿した経験がないので、ここではコメントしない。
『パテント』
弁理士登録している者にとってはもっとも馴染みのある媒体だろう。3誌の中では、もっとも掲載のハードルが低いと思われる。筆者が『パテント』で公表した原稿の多くは、他誌に投稿したものの掲載を断られたものである。
掲載に当たっては、「査読」と称される手続があるが、論文のテーマについて専門性のある者による匿名のピアレビューなどが行われているわけではない。弁理士会の会務として編集委員をやっている者が目を通しているにすぎない。したがって、内容面の正確性や良し悪しは見られていないといってよいと思う(筆者の経験では、編集委員の弁理士の中には、形式面についても知識を欠いた者が含まれていた。)。編集委員が何を見ているかは、弁理士登録している者であれば、会内資料(日本弁理士会広報センター「答申書」(令和5年3月22日付)4頁)を読んでみるとよい。
『パテント』のメリットとしては、前述のとおり他誌で掲載できなかったものでも掲載してもらえること、原稿料が他誌に比べて高いこと、一般向けにウェブ公開がなされる(したがって、広く拡散し易い)こと、などが挙げられる。
『知財管理』
個人的な感覚では、3誌の中では、『知財管理』がもっとも掲載のハードルが高いと感じる。実務に直接的に役立つ内容かどうかを厳しく見られるように思われる。したがって、執筆に際しては、その原稿にどのような実務的な示唆が含まれるかが分かるように明確に論じることを意識しなければならないと思う。
『AIPPI』
『知財管理』に比べると、実務に必ずしも直結しない又はマイナーなテーマのものでも掲載してくれ易いように思われる。とはいえ、こちらの編集委員の先生方は百戦錬磨の実務家であるから、掲載のハードルが低いわけではないと感じる。
コロナ禍以降、オンラインジャーナル化したことから、カラーの図表の掲載が認められるようになった。商標の場合、カラーの商標見本なども掲載してもらえ、大きな利点だと思われる。
引用文献の表記方法
投稿規定上、表記方法が定められていればそれに従わなければならない(たとえば、『知財管理』。ただし、従っていない論稿も掲載されているようではある。)。定められていない場合(たとえば、『パテント』及び『AIPPI』。)には、「東京大学法科大学院ローレビューにおける文献の引用方法」を原則的に参照することにしている。
法律編集者懇話会「法律文献等の出典の表示方法(2014年版)」がスタンダードとされるが、複数の書き方が併記されていることがあり、結局のところ、どれを採用するか、書き手に最終判断が求められる。筆者にはそれが煩わしく感じられる。『東京大学法科大学院ローレビュー』の規定であれば、ひとつの表記方法が定められており、また、海外文献の表記方法までカバーされているので、大変便宜だと思う。
裁判例の表記方法
さまざまな流儀があるようであるが、筆者の場合、投稿規定に何も定めがなければ、次のような方針で表記している。独自ルールが混ざっているので、理由とともに説明する。
刊行物に登載された裁判例の場合
一般に、刊行物に登載されている場合には、当該刊行物の巻号頁を表示し、事件番号を表示しない。しかしながら、私見では、読み手にとって、当該裁判例をデータベースで検索するには、事件番号で調べるのがもっとも便宜(判決年月日だと、複数の判決が検出されるため)と考えるから、事件番号を必ず表示している。
事件番号を表示しさえすれば、刊行物を表示する必要はない、という者も見られる(ただし、そのような者でも「民集」登載か否かは、そのこと自体に大きな意味があることから表示すべきとする者もいると思われる。)。知財事件の場合、特に最近のものであれば多くが裁判所ウェブサイトで公開されるから、そのような立場もあり得よう。しかしながら、筆者としては、だからこそ、刊行物に登載されたということは、何かしらのセレクションが行われたことを意味するとも考えられることから、刊行物の表示も必要と考えている。
なお、刊行物は、公的刊行物があればそれを優先する。民間の判例雑誌が複数ある場合には、学生時代に「判時」を優先せよと教えられたので(理由は不明。)、その通りにしている。「集民」については、流儀が分かれるようだが、個人的には民間の判例雑誌よりも優先して表示することにしている。「集民」に登載された、という事実に意味があるとも考え得るからである。
刊行物の表記については、書き手や出版社によってもさまざまな流儀があり、以下のポスト及びその関連ポストは、筆者の表記方法と異なるが、これにも十分に合理的な理由があり、これを批判、否定する意図はない。
刊行物に登載されていない裁判例の場合
一般には、事件番号を書いた上で、「裁判所ウェブ」などと書くのだろうが、前述のとおり、知財事件の判決は、大体が裁判所ウェブサイトに掲載されるので、わざわざ書くまでもないと思い、表示していない。投稿原稿の場合、字数制限があるので、その節約という意味もある。
ただし、裁判所のウェブサイトにも掲載されていない場合には、当該裁判例を読んだデータベースの名称及びその文献番号を、事件番号の後に表示している。この場合も事件番号を省略しない。読み手が自分のデータベースと異なるデータベースで検索する可能性があり、その際には、事件番号で検索するのが便宜と考えるからである。
なお、裁判例の名称は、商標権侵害事件であれば、権利行使の対象となった登録商標、商標に関する審決取消訴訟であれば、判断対象となった商標としている。
校正時の留意点
書き上げた原稿をジャーナルの編集部門に提出し、無事に掲載が決まると、実際に誌面に掲載される形に組まれた「ゲラ」が作成され、校正する必要がある。校正のやり方は、それ自体、書籍が刊行されているので、それを参照してもよいが、ひつじ書房が分かりやすく説明しているものがあり、これに書かれている内容が最低限、知っておくべきことではないかと思われる。編集部門の方など、ジャーナルを発行する側の方々に迷惑をかけないように、最低限のお作法は身につけておくようにしたい。
また、筆者が最初のころにやってしまった失敗だが(自分だけだと思ったら、以下のとおり、そうでもないようである。)、校正時に注を増やしたり減らしたりして、番号がズレることは避けるべきであろう。
ポートフォリオの整理
書いたものの数が増えてきたら、せっかくなのだから、自身がどのようなものを書いてきたのか、第三者が一覧できるようにしておくのがよいと思う。事務所所属の弁理士であれば、事務所ウェブサイトの自身の紹介ページに書いていくのでもよい。事務所のウェブサイトにそのような欄がない、あるいは、あっても所内手続上、更新等が面倒(筆者はこれに当たる。)、などといった場合には、科学技術振興機構の「researchmap」を利用するのがよいと思う。入力や編集が容易で、レイアウトも整っているので、筆者も利用している。
また「researchmap」では、自身の書いたもののPDFをアップロードできる(ただし、アップロードしてよいか、またその条件は、媒体によって異なるので、アップロード前に規定等を確認されたい。)。ダウンロードされた回数が表示されるので、どの論文がよく読まれているのかが見られて、なかなか面白い。案外、軽い気持ちで書いたものがもっともよくダウンロードされていたりする。
その他、「研究ブログ」や「資料公開」の機能で、論文に書ききれなかったことを補足することも可能である。