ただ一人、互いの部屋で
人を憂鬱にしたくない。
僕のせいじゃなくでも、誰かが落ち込んでいる様子は嫌で、
見ると、どうにかしたい気持ちがこみ上げてくる。
分かってる。手を差し伸べることに意味はない。
自分が証拠じゃないか。飛び降り場所へ向かう電車から降りたのは誰かに静止されたワケじゃない。自分の選択だった。僕は死にたくないと思った。痛いのは嫌だった。家族と先祖への罪悪感もあった。
酷い抑鬱との付き合い方を4年かけて考え、いま実行しているのは自分ではないか。他人に教えられたものではない。
親担任カウンセラー……存在はしたが、それほどの役には立たなかった。
あのまま死ぬまで延々と悩み苦しみ続けるなんて絶対に嫌だった。高校を出た後も続ければいずれ社会的な死、本当の死を迎えるのは自明だった。
だから変わろうと思った。
そしたら僕は本当に、非常に良い方向へと変わってしまった。
結局のところ自分を救えるのは自分だけ。そう理解した。
なのに、他人に手を差し伸べられない現状に酷い罪悪感を抱えている。
友達は部屋にただ一人でいて、ずっと毛布に身を包んでいるのだろう。
面と向かって死ぬつもりでいると言われるたびに、激しく動揺する。
僕が無理やりにでも"良い"方向に着目しているのは、"悪い"面に常に目を向けて負の思考が無限に回転してしまうのを、それが積り積もって死ぬことを防ぐためなのに。
根本的な課題が自分の手の届かない場所にあるのも非常に辛いものがある。深入りするには障壁が多すぎるし、そうしたところで……
みんな、今は互いの部屋で過ごしている。
明日には会えるだろう。ただ、この記事で述べているようなあらゆる点で果てしない距離を保っている。
のちの人生で互いの深淵を探り合えるとしたら、うまくいって相手はパートナーただ一人だけとしか。もちろん、誰一人とも心の底を曝け出せ合えないかもしれない。
最近悩んでる。とうとう内側で処理できなくなった。