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パワハラで人生どん底でも逆転できる!〜あなたは挑戦できてますか?〜

こんにちは、ながともです。
僕の初noteを開いてくれてありがとうございます。

みなさんは日々、どれくらいの挑戦をしていますか?

今回は僕が生まれてから、
月収108万円達成に至るまでのストーリーをお話しさせていただきます。

”人生諦めて欲しくない。どんどん挑戦して欲しい”

その事を伝えたくて、僕の実際のエピソードを執筆させていただきました。

そして、このnoteの中で、
あなたが月収100万を達成する方法についてシェアしていますので
合わせてご覧ください。

それでは少し長くなりますが、僕の過去話にお付き合いください。

生まれはド貧乏の8人家族

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僕が生まれたのは大阪の田原。8人家族6人兄弟の4番目として育ちました。

両親は自営業で、工業系の会社を経営。

会社経営といっても家族経営のような感じなので、僕も小学生の頃からずっと両親のお手伝いをしていました。

学校が終わったらそのまま工場へ通って手伝う。
そんな日常が週6か7で続いていました。

ちなみに給料は1ヶ月で2000円(というかお小遣いですね)

辛かったか?というとそうでもなかったです。それが普通でした。

それもそう、会社が潰れるということは家族。自分自身が食べていけなくなると同義であると感覚的に分かっていたんだと思います。

ところが我が家はド貧乏。

アパート暮らしの8人家族で、長男以外の男3人は自分の部屋を持っておらずリビングが自分の部屋と共用でした。

夜ご飯のおかずは早い者勝ち。それが我が家のルールで、テレビを見たり他の事をして出遅れたら自己責任。

いつも空腹なので、本当はダメなんですけど学校の給食のあまりのパンとかは、カバンに詰めて持って帰って食べてました(笑)

家族旅行などもほとんどなかったです。周りの友達はテレビゲームをやっているけど、自分は家で百人一首をやっていたり。

月に2回くらい工場に行かなくてもいい日があって、その日だけは友達の家でテレビゲームが出来るのが小さな幸せでした。

そんな僕は小さい頃から、ある事を意識するようになりました。

それが

”みんながやっていない事をする”

常に少数派でいる事。というのも理由は、小4の時のいじめがキッカケでした。

いじめられた当時、ふと気づいたんですよね。テレビの有名人を見ていた時に。

「人気者っていじめられないんじゃないか?」

みんながやらない事をやればいい。

そう思った僕は、小4で児童会の書記、小5で副会長、小6で会長を率先してやりました。

目立ちたい!というよりは、いじめられたくないから有名になろう!という行動原理でした。

そのまま中3までは生徒会長などをしていましたが、その頃には

「少し疲れたな・・・」

と感じ始めていました。

そしてそのまま卒業。これまたみんなと違う方がいいという理由で、少し家から離れた高校に通うことになります。

リーマンショックで貧乏が加速して浪人

ずっと生徒会長をやっていた反動か、高校に入ってからは急に大人しくなり、目立つことを避けるようになりました。

そして生活のため家計のため、マクドナルドでひたすらアルバイトをやっていました。

学校の授業が終わったらバイトに直行。ひたすらお金を貯める日々。

余談ですけど、マクドのバイトは楽しかったです。出来る仕事が増えると、シールが貰えるんですよね。フライヤーだったらフライヤーのシールとか。

慣れてくると色んな場所へ派遣されるようになって、大阪ドームに派遣された時は特に賑やかで楽しかったです。

僕が稼いだバイト代はほとんど親に渡していました。親に「あとで返すから」と言われて。

でもこれは、僕にとっては当たり前のことでした。

もし家業の会社経営が上手くいかず倒産してしまっては、僕を含めた家族全員が生活できなくなってしまうので。

小学校のころの日常。工場のお手伝いと同じ感覚です。

高3になり受験が迫った頃。それと同時期に起こったのがリーマンショック(2008年の大不況)です。

会社の経営が傾き、元々貧乏なのに加えてさらに家賃が払えない、設備投資が厳しい、銀行が融資してくれない。

節約生活にも拍車がかかり、おかずは減り、電気の付けっ放しなどに親がピリピリする生活が続きます。

両親もずっとお金のことで喧嘩が耐えなくなりました。

そこで親に言われたのが

「大学行くなら自分で行ってくれ」

仕方のないこと。僕はそう思いました。

僕は関西大学という滑り止めの大学にはなんとか受かっていましたが、お金を貯めるために1年間浪人するという選択をとりました。

結果的に僕は、1年で300万円貯めることができました。

やったのはファミリーマートとドラッグストアのバイト。毎日ひたすらこなしていました。

その時の月収は30万円で、周りの社員より稼いでいました(笑)

しかしながら当然、勉強の時間はあまり取れないまま、センター試験の日がやってきました。

僕が目指していた神戸大学の経営学部はB判定で、予備校(もちろん自費)の教授から

「このままでは厳しい・・・。」

とお告げを受け、和歌山大学の観光学部を勧められました。

観光学部とはまた珍しく、興味を持った僕はそこを受けることに。無事和歌山大学に合格することができました。

ちなみにこれまた余談ですが、相変わらず家業の経営が厳しかったので貯めた300万のうち、入学金の30万などを除いた250万は両親に寄付しました(笑)


32社目の面接で医療系に就職するもひたすらパワハラに耐える

大学からは実家を出て、大学寮で暮らすことになります。

観光業界の勉強は楽しかったです。やりがいは感じていました。

しかし、観光業を仕事とすることに関しては抵抗を持つようになります。

というのも、卒業して観光業界に就職した先輩から全くいい話を聞かなかったから。

ひたすら低賃金で手取りは12万円とか。さらには、旅費が自費になることもあり、実質10万円切ることもあるとか。

流石に割りに合わず、3年以内に辞めてしまうという話をたくさん聞きました。

お金に関しては、一刻も早くド貧乏生活から脱すべく「稼がなくては!」と思っていたので、興味がなくてもお金を稼ぐことを優先しようと決意しました。

そこで選択したのが医療業界。

文系の大学でも営業マンであれば目指せるとのことで、就活は医療業界に絞ってエントリーし続けました。

そして面接は31社連続で不合格。すでに周りの人はほぼ決まっている。

32社目、大手製薬会社の子会社の最終面接。僕はもう、ひたすら頼み込みました・・・。

「もうここしかないんです」「これでダメなら医療業界諦めます」と・・・。

結果。運よく熱い思いが伝わり、その場で採用となりました。内定式の2週間前の話です。

僕はMRの営業マンになることが決まり、その後は東京で研修を受けて、東北の仙台に勤務することに。

ここで出会ったのが、パワハラ上司でした。

配属になる前から、本社の人に

「あそこの上司はちょっと人格に問題があるけど、頑張ってね・・・。」

と忠告されてたくらいです。

今でも覚えているんですが、その上司との初対面の時挨拶したら。

「俺、関西弁嫌いだから。俺の前で話すんじゃねぇ。殴るぞ」

と言われました。

上司は他人の人格否定が多く、感情的になりやすい人でした。
生まれてからずっと東北育ちで、MR業界歴も長く、外の世界を知らないタイプの人間です。

上司のエピソードは色々あるのですが、特にきつかったのが鬼電でした。

支配欲が強いのか、サボってないか?という名目でひたすら電話をかけてくるんですよね。

営業の予定を入れているはずなのに、電話を5分おきにかけて来たり。営業終わったら履歴が100件とかはざらでした。

他にも、運転中は電話に出られない会社規定があるにも関わらず

「いいから俺の電話には出ろ」

の一点張りで怒鳴られたり。電話の内容は当然、今聞かなくてもいいことばかり。

きついな。理不尽だなと思ったけど。ひたすら耐えていました。しょうがないことだと。この業界を選んだ自分のせいだと。

MR業界に勤めて3年。僕の給料は初任給の16万円から少しだけ上がって16万3000円。

もともとド貧乏生活に慣れていた僕は、生活は普通にできていました。けれども、

「将来このままでいいのかな?」

と感じるようになってきました。

毎月奨学金の返済で4万円、携帯、家賃、光熱費、会社の飲み会で手元にほとんど残らない。自転車操業。

極め付けは、最初は会社負担だった家賃補助の停止。

流石に周りの同僚も「ヤバイヤバイ。」と、ざわめき始めていました。

僕は思いました

「収入を変えたい。事業を起こしたい」

両親が自営業だったこともあり、僕は事業を起こしたいという気持ちがすぐに湧きました。

けれども資金が全くない。むしろ奨学金の返済も残っている。

そこで初めて、”副業を始めよう”と行動し始めました。

独学の難しさ。教わることの大切さ。

僕はYouTubeで”副業”と検索。

YouTubeサーフィンした結果、最初は物販を始めようと思いました。理由は、今の資金でも始められるから。

僕は近所の書店に向かい、たまたま目についた中国輸入の本を買って独学で物販に挑みました。

結果、3ヶ月やってマイナス16万円。こんなにも難しいのか。

とにかくルールが多くて、トラブルばかりでした。

赤ちゃん用品とか、自撮り棒とか色々と仕入れてみたけど失敗ばかり。

関税トラブルで仕入れた商品が届かず、数万円払い損になったこともありました。

独学では難しい。せめて売上管理表だったり、結果を出している人のノウハウが欲しいと思いました。

そこで再びYouTubeサーフィンを始めて、物販の発信をしている人に連絡。計3人に連絡を取りました。

その時に出会ったのが、今もお世話になり続けている後藤さんです。

僕はその時はただ単にノウハウを教わりたかったんですけど、その前に副業に対する姿勢や考え方について指摘されました。

この先会社員のままでいることの怖さ。

収入が減ったら自分には何も残らないこと。

その他にも、当時の悩みを色々聞いてもらいました。そうしているうちに

「この人なら信頼できそう」「この人なら自分を運んでくれそうな気がする」

という気持ちが湧いてきて、後藤さんから教わろうと決意しました。スクール代金も、自分の感覚と後藤さんを信じて即払いました。

2018年の6月中旬から、僕のネット副業としての物販はスタートしました。

まずは言われるがまま、教わった通りに行動しました。クレジットカードもその場で5、6枚作成して、仕入れ金300万円くらいを確保。

それでも、最初は何もかもが分からなすぎて悩んでいました。

メルカリのアカウントを作成するのにも一苦労。そのほかのツールの使い方も分からない。動画を見てもよく分かりませんでした。

アカウントや下準備が整った7月。僕はとにかく結果を早く出したいという思いがありました。

とにかく最初は人に教わる。

7月は大阪で月初、東京で月半ばで物販のフォローアップセミナーが開催されていました。

後藤さんにもそこで会える。

僕が当時住んでいたのは東北の仙台なので、近場の東京開催に参加するのが普通。

けれども、とにかく早く結果を出したかった僕は、月初の大阪開催に参加しました。

フォローアップセミナー当日。僕は後藤さんに会うことができ、そこで副業に対する思いを告げました。

「10万円稼ぎたいです」

そうすると、後藤さんは

「それでは私たちに毎日、日報(日々の活動や記録)を出してください。それをずっとみてますから。」

当時の僕は、それ意味あるのかな?と若干疑心暗鬼になりながらも。日々の学びや気づきを書き出して提出しました。

昨日と同じ事は書けない。せっかく日報をみてもらうからには、昨日と同じ内容の日報を出すことが僕は嫌でした。

だからこそ毎日物販に取り組み、挑戦し続けました。

誰かが自分の成果を見てくれる。

それだけでも自分のモチベーションになるのか、7月はひたすら作業に打ち込むことが出来ました。

7月31日時点の利益。今でもはっきり数字は覚えています。

9万6400円

今日1日で3000円くらい売らなきゃいけない。どうしても10万円達成したい。

その日は1日中PCに向かってずっと作業。作業。作業。

結果、なんとか10万3000円を達成することが出来ました。

10万円達成したのも嬉しかったけれども、それを報告した後に後藤さんに褒められたかことがとても嬉しかったです。

結果を出して、誰かに喜びを共有してもらえるのがこんなに嬉しいとは。

会社員時代は、成績を出しても自分が成長しても誰にも何も言われない。収入も変わらない。

副業は、自分で動かなきゃ何も起こらないけれど、動いた分だけ相応の喜びと収入が得られる。

会社に動かされて稼ぐこと。

自分で動いて稼ぐこと。

その差を身を持って知った2019年7月でした。

その後も挑戦し続けて脱サラへ

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その後も物販を続けて、それに伴い新しいノウハウを使ったり、自分のスキルも成長させることが出来ました。

2ヶ月目は23万円、3ヶ月目は34万円と徐々に稼げるようになっていきました。

会社員の時は3年で増えたのがたったの3000円。むしろ景気悪化で年収は実質減っている。

会社以外の世界を知らなかった僕はあっけに取られました。

その1年後、2019年の9月に脱サラ。仙台から東京に引っ越して、現在は物販のプレイヤーとしてだけでなく、教える側として活動しています。

脱サラに1年かかったのは正直長い方だと思います。本当はもっと早く脱サラしてもいいはずだったけど、踏ん切りがつかず。

最終的にはまた、後藤さんに

「辞めましょう」

と後押ししてもらって、ようやく辞表を提出することが出来ました。

僕の今の収入は100万円を越えるようになってきましたが、節約精神は未だに変わらず身の回りのものは質素です(笑)

でも、お金の使い方で会社員時代と大きく変わったのは”自分の成長には投資を惜しまないこと”です。

自分が成長して、新しいことに挑戦したら

「余計なことはするな!」

と怒られ、収入が変わらないのが会社員。

自分が成長して、新しいことに挑戦したら

「よくやった!」

と褒められて収入が上がるのが今。

本当に今の自分があるのは後藤さん含め、周りの仲間のおかげです。それだけ、人との出会いやキッカケは大切だと身にしみています。

もしあのとき後藤さんに出会ってなかったら、収入が増えるどころか借金を抱えてしまっていたと思います。

そして今ごろは仙台でずっと、自転車操業してくすぶっていたと思います。

どんどん挑戦して欲しい


僕が今、みなさんに伝えたいことは

”人生諦めて欲しくない。どんどん挑戦して欲しい”

時間がないとか、もう遅いとか。

色々な理由があるかもしれないけれども、一度きりの人生を諦めないで欲しい。

このnoteに辿り着いている時点で、あなたは既に自分を変えようと挑戦をしているはずです。

結果がまだ出ていないかもしれないけれども、とにかく諦めずに挑戦し続けて欲しい。

もし、つまずいているならば、気になる人に連絡をとったり人と会ったりしてみてください。

そうすることで新たな刺激を受けて、自分の道が開けるかもしれません。

僕もまだまだ挑戦したいことがたくさんあります。

今は自分の会社を法人化して、コンサル業やセールス業の事業を立ち上げることが目標です。

僕の会社員時代と同じように、人生諦めかけてる人を助けたい。成長させたい。

少しでも誰かの力になって、僕も感謝されるような存在になるように日々挑戦し続けています。

みなさんも僕と一緒に、挑戦しませんか?

僕も、初めはできるか不安だったけど、その不安を乗り越えてここまでこれました。
今のあなたが、収入が増えないことや、上司や同僚との人間関係に、悩み苦しんでいるのであれば、僕はあなたのお手伝いをできると断言します。

最後までご覧いただきありがとうございます。
ここまでが僕がビジネスを始めたきっかけとなる部分です。

今、
会社で働くことに収入の限界を感じている方
上司との人間関係に疲れを感じている方
会社の将来性に疑問を感じている方

そんな人たちを心から応援したいと思っています。

そこで、今回、このnoteをご覧いただいた方を限定に
物販の「無料通話アドバイス」をしています。

会社員でも、副収入を得て、1年後の未来にあなたの夢や目標が叶えられるようにしっかりアドバイスさせていただきます。

現状変えたいと思う方は、
下記LINEまで「挑戦!」とコメントください。

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そのコメントを打った時から、あなたの未来は変わります。
ぜひ、お待ちしてます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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