なんで古事記???(1)
40年間、高校で英語を教えてきました。
受験英語を教えたり、ALTとティーム・ティーチングで英語会話を教えたり。。。いろいろと勉強させてもらいました。
英語科や国際教養科の担任をさせられたり、SELHi (Super English Language High School) の指定校で研究発表させられたり、まあまあいろいろなことをやらされてきました(笑)。「やらされてきた」という言葉は微妙かな。
中学、高校の頃の私の英語に対するアプローチは、ラジオのFENから流れてくる All American Top 40 のアメリカやイギリスのロックバンドの楽曲のListening と Singing。
1970年代の日本のロックはまだまだって感じで、洋楽ばかり聴いていました。今思うと、天邪鬼(あまのじゃく)なイヤな奴だったかなとも思いますが。とにかくハード・ロックのバンドが大好きで、新譜が出るとよく disk union に直行してLPなんぞを買っていました。そんな感じで英語が好きになったかな。大学生になると今度は MLB に填まり Greyhound bus でアメリカ横断。ボストン、デトロイト、ロス・アンジェルス、オークランドでMLB観戦。日本に帰って来て卒業論文で「野球英語における文化人類学的な日米文化比較」といったようなことも書いたりしました。
ということでボクについて言えば、英語というのは決して「やらされる」べきものではなく、好きなものにアプローチする手段だったんです。だから、教科書の中で教わってきた英語以外の口語表現をいろいろと学ばせてもらいました。例えばカナダのバンド「Bachman-Turner Overdrive」の「You Ain't Seen Nothing Yet」。洋楽ではこの「ain't」という表現はよく使われますが、今までのボクの人生の中では教わったこともないし教えたこともない英語です。実に不思議です(笑)。でも、こんなことはたくさんあります。
今の英語教育って生徒達が難しいことをたくさんやらされているよう気がします。でも、長い間勉強してもなかなか英語って喋れるようになれませんよね。ボクも会話の授業はかなりやらされました。でも、よーく考えてみるとというか、よーく考えてみなくても、その勉強した英語表現を使う場って殆ど有りませんよね。今まで、数多くの高校生を教えてきましたが、そのうちの果たして何人の子達が英語を日常的に使うようになってるのかなと時々思います。
まあ、乱暴な言い方では有りますが、「日本人全員に英語を教える必要は無い!」と思います。選択科目でいいでしょ。だって、使わないし、やらされてる感じだし、英語を学ぶことがなんかファッション感覚になっちゃってませんか?って感じです。元(現)英語教員としてはかなり不適切な見解かもしれませんが、我々日本人が英語を「使ってる」んじゃなくて、英語に「使われてる」って感じですよね。
ホントにそんな感覚で英語を日本人の生徒に学ばせてもいいのかな?と思いますが。。。
英語に興味のある子(人)は積極的に自ら学べばいいし、分からなかったらボクも協力したいと思います。
でも、現状では英語を学ぶということは避けて通ることが出来ないので苦しんでいる子(人)にはできる限りの協力をさせていただきたいと思います。
ということで、ウチのスペースではどちらの方にも対応できるように準備させていただいております。
それと、ギター(エレキ1,アコースティック1)も用意しておりますので、講義の合間に弾きたい方はお弾きください。
さてさて、「古事記」とは直接関係ないことをダラダラと書いてしまいましたが今回は飽くまでも前振りですので、次回「なんで古事記???(2)」で、なんでそうなるのか?説明させていただきます。
*かなりカジュアルな文章になってしまい申し訳ございません。