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429. 「LGBTに理解を!」というけれど、それって周りに配慮を求めているんですよね?こういう態度は押し付けがましいと思うんですけど・・・。

なるほど、押し付けがましいですか。

そのように考える方もいらっしゃると思います。またそれとは別に「特に押し付けがましいとは思わない」という方もいらっしゃるでしょう。

人の考え方はそれぞれ違います。

その色々な意見や考え方を超えて、あえて「LGBTに理解を」とか「LGBT理解増進」と言われるのはなぜなのか、そこを考えてみましょう。

まず言えることは、「LGBTに理解を」というメッセージは、LGBTやLGBTQ+に代表される性的マイノリティの人々が社会全体で平等かつ公平に扱われることを求めているという意味合いが強いということです。

さらに言えば、このメッセージは、LGBTに代表される性的マイノリティという特定のグループにだけ配慮を求めるのではなく、社会全体に対して差別や偏見をなくし、理解と受容(寛容)の精神を育むことを目指しています。

以下に、この考え方についてのいくつかのポイントを示します:

基本的な人権:すべての人が持つ基本的な権利や尊厳を尊重することは、人権の観点から見ても重要です。LGBTQ+の人々が平等な権利を享受できない状況は、その基本的な人権が侵害されていると言えます。

例えば私の394の記事では性的マイノリティの人が「自分が自分である」ことを理由に面接を打ち切られるという場合について考えました:

「人権」という言葉に違和感を持つ方の中には、「人権、人権って言うけれど、それは行きすぎた人権の主張なのではないか」という意見も見られますが、それは違います。私の392の記事ではそれについて考えました:

多様性の尊重:多様性を尊重することは、個々の違いを受け入れ、それぞれの価値を認めることを意味します。これはLGBTQ+の人々に限らず、すべての人々に対しての考え方です。

多様性が重要というのなら、「LGBTを認めない」という考えも認めろという人がいらっしゃいます。それについては344の記事で考えました。


「押し付け」との違い
:LGBTQ+の人々が求めているのは、自分たちの生き方やアイデンティティを他人に「押し付ける」ことではありません。むしろ、自分たちと異なる生き方やアイデンティティを持つ人々を受け入れ、尊重する社会を築くことを目指しています。

これも具体的に「押し付け」や「ハラスメント」ではない、ということを380の記事で書きました:

社会の健全性:差別や偏見がない社会は、全体として健全であり、そのような社会に住むすべての人々に利益をもたらします。

例えば、沖縄県では2021年3月に「沖縄県性の多様性尊重宣言(美ら島 にじいろ宣言)」を行いました。これは、この沖縄という地域社会で誰もが自分らしく生きられる心豊かな沖縄を目指す目的で発出されたものです。


これまでも何度か記事の中で触れてきましたが、LGBTQ+の人々が求めているのは、「特別な取り扱い」ではなく、「平等な取り扱い」です。

しかし、もしあなたが「LGBTに理解を」というメッセージやアプローチをどうしても押し付けがましく感じるというのであれば、もしかしたらあなた自身の中に性的マイノリティに対する何らかのバイアスや偏見がないかを疑ってみることも大切だと思います。

(注:私は「LGBTに理解を」とか「LGBT理解増進」を押し付けがましいと感じる人やそのように感じることを否定しているのではありません。最初に書いたように、世の中にはいろんな人がいて、いろんな意見や受け取り方があるのは当たり前だからです。しかし私個人としては、お釈迦様がおっしゃっているように「一切の生きとし生けるものは幸せであれ」という立場です。性的マイノリティであるという自分が他人に理解されない、それで生きづらさを感じてもう生きていくのは嫌だと思っている当事者の方がもしいるのなら、ぜひ幸せに暮らしてもらいたいと思いますし、そのために私に何ができるだろうと考えてnoteで記事を書いています。)


参考資料

画像:AI生成