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340. LGBTに理解を!と言えば気高いというか、理解がある寛容な人物というイメージが付くと思ってるんでしょうか?
今回もYAHOO! JAPAN知恵袋の質問を取り上げてみます。
さて、今回の表題の質問は次の文章の一部です:
LGBTって括られてるけど、LGとBとTって実は結構違いますよね。 なんだか一つにまとめ「LGBT」という単語で人気取りの道具にされてる気がします。 LGBTに理解を!と言えば気高いというか、理解がある寛容な人物というイメージが付くと思ってるんでしょうか? イメージアップを目的にして掲げる企業は、この方達をマスコットか何かと思ってるんじゃないでしょうか? 褒められるからやる。というのは理解からほど遠い様な気がします。 推奨してる人で、真剣に考えてる人なんて実はあんまりいないんじゃないかと感じることがあります。 みなさんはそう感じることはありませんか?
この質問は2つの部分に分けられます。1つはLGBTというくくり方の問題、もう1つは企業がLGBTを利用しているということについてです。
LGBTの「LGB」はレズビアン、ゲイ、バイセクシュアルと性的指向にかかわるもの、Tはトランスジェンダーで自分の性をどう認識しているかにかかわるものです。
違う2つの概念なのに、なぜ一緒にしているのか。
私は、LGBTという言葉を使うときにはその背景に他の性的マイノリティが含まれていると考えています。
つまり、LGBT以外にもクエスチョニングやノンバイナリー、Xジェンダー、第3の性、など「自分の生まれた時の性に何の疑問も持たず、社会的に主流である異性愛を当然のこととしている」物差しでは測れない人を指すと考えられます。
そこで、性的マイノリティはお互い性質が違うところもあるけれど、この世の中の「異性愛規範/シスジェンダー規範/男女二分法規範」を押し付けられ、生きづらい思いをしている人たちが一緒になって声をあげましょう、ということだと思います。
これまでにも何度か書いてきましたが、「数が多いこと=正しい」ということはありません。
そもそも単に自分と同じ属性の人々がたまたま多数(マジョリティ)であったというだけで、少数者(マイノリティ)を蔑んだり、いじめたり、差別したりすることは許されません。
その一方で、性的マイノリティの当事者の中にも「LGBT」というような括り方は好ましくないと考えている方もいらっしゃいます。
AさんとBさんという2人の性的マイノリティがいても、必ずしもこの2人が同じ考えを持っているわけではありません。
政治についての考え方も性的マイノリティの中にはさまざまな意見があります。
しかし、Lだけ、Gだけ、Bだけ、Tだけで何かを訴えかけるよりも、小さな力しかないけれど、みんながまとまれば大きな力を発揮するということもあると思います。
それで、性的マイノリティを表す代表的なものとしてLGBTという言葉を「仮に」使っているのだと思います。
もう1つの企業がLGBTを利用しているのではないかという点については、私個人としてはそれでもいいと思います。
このような問題について1つの視点を与えてくれる言葉がありますので紹介します:
“The world is a dangerous place, not because of those who do evil, but because of those who look on and do nothing.” (この世界は危険なところだ。悪いことをする人がいるからではなく、悪いことが行われているのを見ながら何もしない人たちがいるからだ。)
未だに性的マイノリティに生産性がないとか、性的マイノリティは表に出てくるな、日陰でこそこそ生きていろというような言葉が政治家や一般の人からも聞こえてくる時代です。
LGBTを利用して企業のイメージアップをはかろうということを企業側が考えているかどうか、私はその真意を確かめようもありませんが、何もしてくれないよりは支援をしてくれる方がずっといいと思います。
「そんなの偽善だ」と思われる方もいらっしゃるでしょう。そういう意見を否定しようとは思いません。
ただ、「ホモ」「オカマ」「キモイ」「頭がおかしい」など、差別的な言葉を投げつけられて傷ついている人たちを気遣いもせず、ただそばに立って黙って見ている人より、私は(心で思っていることとは別に)傷ついている人を勇気づける言葉をかけてあげたり、何もいわなくても黙って手を握ってくれたりする人の方がありがたいと思います。
もちろん、私はこの考えを押し付けようとは思いません。
もし誰かがLGBTの力になりたいと思えば、そうするでしょうし、そう思わなければ何もしない。
例えそれが企業のイメージアップのためであったとしても、です。
それをどう評価するかは人によって異なっていいと思います。
参考資料
画像:UnsplashのAbbe Sublettが撮影した写真