304. ホモソーシャルって何ですか?
イヴ・K・セジウィックの著書、『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(原著発売は1985年、日本語翻訳版は2001年発売)で用いられた言葉です。ウィキペディアには次のようにあります:
「女性及び同性愛(ホモセクシュアル)を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性を意味する」
ホモソーシャルは体育会系などで顕著に見られる緊密な絆で、しばしばミソジニーあるいはホモフォビアが伴う。ホモソーシャルな関係によって、強制的に異性を愛すること、そして女性の家事労働に頼ることが前提として成り立っている家父長制が構成される。ホモソーシャルの概念を提唱した、アメリカのジェンダー研究者のイヴ・セジウィックは、「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」ことを指摘した。
ものすごく古い例えを出すなら、軍歌の「同期の桜」の次のような歌詞の中にそれが現れています:
貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ
兄弟ではないが気が合って別れられないというのは、同性愛を歌った内容とも取れそうですが、もちろんそうではありません。それほど深い関係を男同士が作っているということです。そこには恋愛感情はありません。
そしてもう1つ大事な点は、ここに女性が現れないというところです。女性は蚊帳の外というか、「女は家庭、男は仕事(戦場)」というジェンダー規範の考えに支えられているのがこの歌です。(参考資料にあげた保利さんの記事も面白いです)
男同士の絆を確かめるために、一昔前なら上司と部下が一緒に飲みに行って、勢いで風俗へ行くというような流れがありました。キャバクラでも風俗でもどちらでもいいのですが、男性のお給仕(これはちょっと古い表現でしょうか)、もとい、男性にサービスを提供するのは女性で、「女性は男性より下」ということが前提になっている。
そして上司も部下も双方が相手に性的に関心がないことを(相手が同性愛者でないことを)性風俗に誘ってお互いに満足するというようなことで確認するわけです。酒を飲んで腹を割って話す+お互いに同性愛でないことを確認する+女性を下に見る=ホモソーシャルな関係ということになるでしょうか。
今では、新人の会社員は上司との飲み会に参加したくないという人が多いとされています。これはとても面白い現象だと思います。
私は社会学の専門ではありませんが、もし昭和〜平成(の中頃?)まで続いていたようなホモソーシャルな絆の構築ができないとすると、今の会社の組織はどうなっているのか、これからもしばらくは「男社会」が続くと思われますが、そこでホモソーシャルな絆の代わりに何か新しい人と人の関係性が生まれるのか(すでに生まれているのか)興味があるところです。
そしてこのホモソーシャルな関係性を「生きづらい」こととして捉えている若者たちが多くなっていることも人と人の関係性に変化が起きていることを示しています(文春オンラインの記事の漫画がわかりやすいのでオススメです)。
ちなみに、このホモソーシャルな絆があるところでは、ゲイであることをオープンにしている男性はこの輪の中に入ることはできませんし、組織の中では「男としてみなされない」というようなこともあってイジメやハラスメント、昇進できないなど色々な不都合なことが出てくる可能性があります。
参考資料
ウィキペディア 「ホモソーシャル」
川口遼 「『ホモソーシャル』って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか…?」現代ビジネス (2021.5.29)
保利透 「『同期のサクラ』と同名の軍歌が、実はBLの曲だったことをご存知か」現代ビジネス (2019.12.07)
文春オンライン「生きづらさを生む男同士の絆「ホモソーシャル」って何だ?」(2020.2.3)
画像:イヴ・K・セジウィック著、『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』の表紙