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430. 差別や偏見は人類史上ずっとあったものですし、これからもなくならないと思います。「LGBTに対する差別や偏見を無くそう」といっても、ただのスローガンに終わるだけじゃありませんか?そんなに人はすぐには変われませんよ。

こんなお話はどうでしょうか。

中世のヨーロッパのお話です。
ある村に古くから大きな岩がありました。
高さは大人がばんざいしたよりもずっと高く、幅は馬2頭ぶんくらいでした。
この岩は、村の中央の広場にあり、多くの村人が日常的にこの岩を避けながら通り抜けていました。
岩はそこにずっとあったので、多くの村人は「この岩は動かせない」と信じていました。
そして、「岩は永遠にそこにあるものだから、避けて生きるしかない」というのが共通の認識でした。
しかし、ある日、新しい世代の若者たちが村にやってきました。
彼らは、岩が邪魔で不便だと感じ、「なぜこれを動かさないんだろう?」と疑問を抱きました。
そして昔からいる村人になぜなのかを尋ねました。
すると村人は誰もが口をそろえて、「動かすだって?それは無理だ!岩はそこにずっとあるものだから」と言いました。
しかし、若者たちはあきらめませんでした。
彼らは協力して岩を動かすことにしたのです。
でもどうやって?
もちろん、当時はこれだけの大きな岩をつるすクレーンはありません。
若者たちは、古代ギリシャの哲学者アルキメデスの言葉を知っていました。「適切な支点があれば地球さえも動かせる」
この言葉を胸に、彼らは岩を動かすための計画を練りました。
村の工房で最も丈夫な木材を集め、レバーとなる長い棒を作りました。
そして、村の農場から大きな丸太を支点として利用するために運び込みました。
作戦当日、若者たちは夜明け前に集まり、岩の周りを掘り始めました。
彼らは地面から岩を少し浮かせるようにし、レバーを岩の下に差し込むスペースを作りました。
力強い手と一定のリズムで、彼らはレバーを持ち上げ、岩の下に丸太を支点として置きました。
「よーい、ドン!」の掛け声と共に、若者たちは一斉に力を合わせてレバーを押し下げました。
最初の試みでは岩は微動だにしませんでした。
しかし彼らはあきらめませんでした。
何度も試みるうちに、岩はついにゆっくりと動き始めました!
岩がわずかに持ち上がると、この様子を見ていた群衆から「おぉ!」っと歓声が上がりました。
勇気づけられた若者たちは、岩の下にさらに多くの支点を追加し、徐々に岩を浮かせていきました。
次に、岩の下に滑らかな木の板を置き、岩をそっとその上に下ろしました。これで、岩は板の上で転がるようになり、何人かで押すだけで簡単に移動できるようになったのです。
日が高く昇る頃には、岩はもはや広場の中心にはありませんでした。
若者たちは岩を村の外れまで転がしました。
そこには美しい自然の花園を作ろうと計画していました。
村人たちは若者たちの勇気と知恵を称えました。
この日から、村の人々は「不可能」という言葉に挑戦する勇気を持つようになりました。
若者たちはみんなで力を合わせて問題を解決する価値を村全体に示したのでした。
そして、岩があった広場は村の集会や祭りの場として新たな命を吹き込まれました。
おしまい

この例え話の中の「岩」は、歴史を通じて存在してきた偏見や差別を象徴しています。

私たちはこの偏見や差別という岩を「動かせないもの」として受け入れてしまっていないでしょうか。

古くからいる村人のように「動かすだって?それは無理だ!」と思い込んでいないでしょうか。

もちろん、この物語のように、スムーズにことが運ぶとは私も考えていません。

しかし、わたしたちは「伝える・学ぶ」(教育)というレバーを持っていますし、「共感・寛容」という支点も持っています。

もしこれらを私たちみんなでうまく使うことができれば・・・と私は思うのですが、みなさんはどうお考えになりますか?


画像:広場に大きな岩のある村(AI画像)