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392. LGBT法を作ること、LGBTの理解促進を進めることは「行き過ぎた人権の主張」ではありませんか?
私はそう思いません。
「行き過ぎる」という言葉の定義から見てみましょう:
① ある場所を通って先へ行く。通り過ぎる。通過する。
② 目標を通り過ぎて先まで行く。ゆきすぎる。
③ 度を越して事をする。ゆきすぎる。
(イ) 常識的な行ないからはずれる。分を越えたふるまいをする。
(ロ) 知ったかぶりや出すぎたことをする。通人ぶる。
(ハ) 意地がつよすぎる。張りがありすぎる。
(ニ) 態度がなまいきである。
「行き過ぎた人権の主張」という言葉が表しているのは、おそらく③の「度を越した人権の主張」ということでしょうか。ようするに「やりすぎ」ですね。
「SDGsもG7も日本には関係ない。西洋の価値観を日本に押し付けるな」という意見についてはこれまでの記事でも触れてきました。
日本という国は明治以来ずっと西洋の価値観を取り入れてきました。G7首脳会議ではそのような「価値観」を共有していることが繰り返し確認されています。
国連の定めた2030年までに達成する持続可能な目標の「核」には人権があります。「誰一人とりのこさない」というSDGsの目標の中には当然、性的マイノリティも含まれます。
本来なら、東京オリンピック前に法律を作らなければならなかったのです。「オリンピック憲章」の「オリンピズムの根本原則」には次のようにあります:
6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、 政治的またはその他の意見、 国あるいは社会的な出身、 財産、 出自やその他の身分など の理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。
性的マイノリティにかんする権利保障が何もない国で東京オリンピックが開催されました。これは問題ではありませんか?オリンピック憲章に違反していますよね?
日本の外務省は「日本もがんばってSDGsに取り組んでいますよ」とアピールしています
その一方で、「行き過ぎた人権の主張」の中にトランスジェンダー(特にトランス女性)をことさらとりあげる方がいらっしゃいます。
ここではっきり言っておきますが、「トランス女性=犯罪者」ではありません。
身体男性のトランス女性が女性スペースを侵害する、そこで犯罪が起きる、(シス)女性の権利がお脅かされるとする意見がSNS上であふれています。
まるで性別移行中のトランス女性は犯罪者だと決めつけているようにも見えます。
(特に)トランス女性は性犯罪目的で銭湯を利用しようとしているわけではありません。みなさんも同じだと思いますが、いつもは自宅のせまいバスタブを利用しているけれど、おもいきり足を伸ばせる大きな風呂屋を利用したいという気持ちになることは誰にでもあると思います。
また、女性トイレを利用する人は(化粧直しなどは置いておいて)、主に排泄行為をするためにトイレを利用するのでしょう。
女性のトイレはすべて個室になっていますから、身体が男性のままのトランスジェンダーの方でも、個室で用を足す以外の場所で男性器を他人に見せることはないと考えられますし、そういうことがあれば逮捕されて当然だと思います。
(むしろ性同一性が女性であるのに、自分の体がまだ完全に女性に移行していなければ、自分の体を他人に見られることを嫌がる傾向にあると思われます)
私はトランスジェンダー女性の権利を守るために(シス)女性の権利をないがしろにしていいと言っているのではありません。どちらの人権も大切です。
ただ、これまで性的マイノリティ(トランスジェンダーだけでなく、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、ノンバイナリー、クエスチョニング、など)の人権が尊重されていなかったという背景があります。
それを考えると、一概にLGBT 法案を廃案にしろということは言えないと思います。そしてそれが「行き過ぎた人権の主張」だとは、私は考えません。
私たち一人ひとりが人として尊重される社会を作っていかなければなりません。これは他人事ではなく、記事を読んでくださっている方々みなさんが考え、実行しなければならないことです。
トランス女性を「排除」することばかり考えていては何も解決しません。トランス女性を含めた性的マイノリティを「包摂(インクルージョン)」する社会が求められているのです。
参考資料
画像:UnsplashのWaranont (Joe)が撮影した写真