350. 「差別は許されない」とすると、かえって「寛容な社会」を阻むのでしょうか?(2)
同じテーマで別の方向から記事を書きました。
2023年2月現在、政府与党内では「LGBT理解増進法」について「『差別は許されない』とすると、かえって『寛容な社会を阻む』」という声があるとのことです。
「寛容」ってなんでしょう?
いつものように辞書の意味を確認しておきます:
この定義を性的マイノリティに当てはめる形で書き直すと次のようになります:
差別については、「直接差別」と「間接差別」があります。比較的わかりやすい説明を引用します:
これを性的マイノリティに当てはめると次のようになります:
ここでは直接差別に話を絞りましょう。
今話題になっている同性婚。この記事を読んでいらっしゃる方は賛成ですか?反対ですか?それともあまり興味がないのでわからない、でしょうか。
性的指向や性自認で取り扱いが異なる例として同性婚があげられると思います。
同性同士が結婚できないのは性的指向による差別となります。
このように「(直接)差別はいけない」と差別禁止をすることで、寛容な社会ではなくなるのでしょうか?
私はそうは思いません。
もう一度、先ほどの「寛容の書き換え」を見てみましょう
同性婚を認めることは、性的マイノリティを受け入れることになるのではないでしょうか。
話はちょっと変わりますが、憲法で自由・平等が保障されていても、男女機会均等法ができたのは1985年でした。
男女の性別で差別(直接差別・間接差別)をしてはならないと法律をわざわざつくらなければ女性への差別は解消されなかったのです(今でも解消されているとは言えませんが)。
だから同じように性的マイノリティについても法律によって差別をしてはならないと決めなければならないのです。
何もせずに社会が性的マイノリティに寛容になると考えるにはあまりにも楽観的過ぎると私は考えます。
げんに首相秘書官は「気持ち悪い」「見たくもない」と発言しているじゃありませんか。
このような差別・差別的発言をやめさせるためにも、私は差別を禁止する法律をつくらなければならないと考えます。
みなさんはどうお考えになりますか?
参考資料
画像:UnsplashのNick Fewingsが撮影した写真