炎上必至!⑦新説、精神障がい福祉について!
様々な病や障がいに関して感じる環境的要因の大きさ。
それを軽視した医療現場の対応・・・
続く投薬治療に関しての憂いを話した先週。
今週からは具体的な道への新説を語らせていただいてます。
定着率の低さが依然として言われ続けている精神障がい。
実際、当施設で対応させていただいて感じるところ・・・
定着率を上げる事が出来る事実と共に、
自助努力の大切さ。
社会が合理的配慮を当たり前とさせない姿勢。
そんな事が大事なのではないか?と話させていただきました。
それと無関係とはいえない福祉についての話です。
ちょっと一休み・・・見学に来た役所の方が認めた福祉事業の闇!
過去にはこんな感じで語らせていただいてもいますが・・・、
そもそも障がい福祉というものは何なのか・・・?
上の記事で定義させていただいてます。
障がいあったとしても健常者と同じ幸福度を
感じられる生き方を目指しつつ、最悪な事態にならないように守る!
それが福祉だと・・・。
日本国憲法の三大原則のひとつである【基本的人権の尊重】
その中に【生きる権利】が語られている以上、
最悪な事態というのはそれが阻害される事態であるのは明白。
なので、
障がい福祉というセーフティーネットの役割を果たすべきものには
衣食住と最低限度の生活保障は絶対的に存在せねばならないんです。
おっと、ちょっと待って!!!
それだけじゃなくて、
健常者と同じような幸福度を感じていただく生き方を目指す!
それも【平等】という言葉で憲法上語られています。
これがとてつもなく不自然な事を生むのだろうと僕は思っています。
障がい者雇用のところで、自助努力の必要性を社会全体が説けるべきだ!
なんて伝えさせていただきましたが・・・
勿論、そこには反論も出てくるはずです!
障がい故に出来ない人間に障がいがない人間と同じものを求めるのか!?
なんてね。
僕はそういう声自体が障がい者差別だとも思うんですが、
【弱者救済】がこの世の中の絶対定義だと仮定すれば、
受け入れざるを得なくなります。
勘違いしないでいただきたいのは・・・
その仮定を受け入れる事自体は論理的に納得出来るものがあるので
普段、僕も当たり前のように受け入れて生きています。
というか、思考停止で「可哀想だ!」「力になってあげたい!」とか
ぬかしまくってるthe福祉人達がわかっていない!と思っているんです。
どういうことかと言えば・・・
この【弱者救済】を
差別的な意味合いで語っている事に気付いてないんです!
野菜農家さんが野菜を作るのは、野菜作りに長けていない人の為ですよね?
それを実際仕入れ、スーパーに卸すのは、
農家さんがその手間までやると大変だからだし、
卸したものをスーパーの店員さん達が陳列し、
値段を付けて消費者に提供するのは、沢山の人に提供する事に
スーパーという集団が長けているからですよね?
つまり、語弊の生まれそうな言い方をあえてすれば、
野菜農家さんは野菜を作る事以外が出来ない。
卸しの方々は野菜は作れないし、陳列し、売りさばく事は出来ない。
スーパーの軍勢は売る事は出来ても野菜作りは出来ない。
この様に出来ない人を出来る人が助ける。
【弱者救済】で世の中が出来ている。
パソコンで文字を打つ事が出来る僕がいても、
電気は作れない・・・電気製造弱者の僕の代わりに作ってくれる人がいて、
僕という人間の生活が成り立っている。
歌を作り、歌えるミュージシャンがいても、
マイクやギターを作れる訳じゃない。機材弱者のミュージシャンの周りで
それに長けてる人間の努力、頑張りが確実にある。
このレベルで【弱者救済】を捉えればあまりに普通。
上記したような意味合いで言えば、
障がいがあったとしても健常者と同じ幸福度を
感じられる生き方を目指しつつ、最悪な事態にならないように守る!
何かしらの理由とかで仕事出来ないなどの問題を抱える方に
衣食住を整えるって悪い事じゃないし、国民の権利として当然!
必要だからやるべき事だよね。うん。その通り。
でもね。福祉の人達・・・よーく考えてね。
助けろ!助けろ!困ってる!助けろぉっ!!!
って自身のやってる事が善であると、妄信してません?
ちょっと一休み・・・見学に来た役所の方が認めた福祉事業の闇!
この二つの記事の中で語った事を再度、掘り返しますが・・・
障がいがあったとしても健常者と同じ幸福度を
感じられる生き方を目指しつつ・・・、
これがノーマライゼーションの考え方であるならば、
際限のないような欲求に対しても応えて行く必要が出てきますよね?
特に、精神疾患、精神障がいの方々のその原因を考えれば、
強めな欲求っていうのは絶対的に問題になってきます。
(過度なストレスを要因のひとつと考えた時に欲求は因子。)
生保を受給しながら確かに貧しく生きてらっしゃる方々はいますが、
その貧しさの裏にはあり得ないお金の使い方をされてる方もいます。
無論、そこに対しての話し合いが持たれたりする光景はありますが、
話し合いの様子からすれば、遠慮気味な常識や正論が飛び交っています。
何故なら
相手は精神に障がいがあり、その障がい故に
まともなお金遣いが出来ない方である(可能性がある)からですね。
無駄遣い、浪費、贅沢をしたいその人自身の気持ち(心理)を理解し、
理解したという態度を持った上で
共に考えていく(考えさせる)姿勢を取る事は結構難しい。
(当施設で職員達に常々追求させている事です。)
また相手がその考える事に重きを置いてくださる方であればいいですが、
考える事自体が精神的な障がい故に出来ない方、
またはそう訴えている方だったらどうだろうか?
【弱者救済】の考え方でいけば、
考えるの苦手な方の為に代わりに考える・・・。
わかります。
精神の障がい故に考えるのが苦手な方・・・。
その判断はどうやって行いますか?
いやいや、だって精神の障がい故に!って言ってるじゃん!
もしくは、
診断下ってるからね!それでしかないでしょ!!
ってのがその判断基準でしょうか?
それって・・・あまりにオートマティックではないでしょうか?
頑張らない得・・・頑張り損・・・
それが成り立っていく、なんなら助長されていく
そんな構図が見えますでしょうか?
ララホームという施設では生保だった方が
生保を抜けようと努力をされる様子があります。
また、自分の課題という言葉が飛び交っているので、
人間関係トラブルも以前と比べて本当に減りました。
内側で何かを抱える様子も物凄く少ないです。
(抱える事も自分の課題だからですね。)
新説、精神障がい福祉について・・・今日掴んで欲しいのは、
【弱者救済】は普通の事。
過剰な【救済】をするな!
です。
これはとても難しい。
子育てパパさん、ママさんならわかると思いますが、
与えるのはとても簡単なんです。言葉も与えるのは簡単。
欲しいものを聞いて、与えれば良いだけなので・・・
それを全て国や市区町村がお金を出し、保証しているのが障がい福祉。
ちょろいんです、それは。
自己満足なんです、事業者達の。
頑張らない得の世界に引き込む事で、
頑張らないthe障がい者が完成します。
だって障がい者だもん!無理なんだもん!です。
いやいや、やればできる人を沢山見てきましたよ、僕は。
膨らみ続ける社会福祉費、社会保障費・・・。
考えるべき時は来てると思っています。
明日は、新説、就労支援について・・・w