捉え方次第で人生は変わる!精神的に色々抱えてる方ほどわかってない問題。
アルコール依存症の親に育てられ、
幼少期は散々たる思いをしてきたそんな兄弟がいた。
大人になり、弟はいつの頃からか、あんなに嫌だった親父と同じ
アルコールに溺れ、依存症と診断・・・。
そして、その後、傷害事件を起こす。
「あの親父に育てられたせいだ!」と自身の人生を呪う彼。
そんな彼の弁護を引き受けたのは、彼の実の兄にあたる人間だった。
兄はアルコール依存の事件を多く扱う弁護士になっていた。
「あの親父に育てられたから私はこうなれたんだ。」
そう語る彼は今でも多くのアルコール依存症の方の弁護に立つ。
アルバート・エリスという臨床心理学者が提唱した
ABC理論というものをご存じでしょうか?
わかり易く解説すると、
Aという【出来事】が起こり、それが良いか悪いかで
Cという【結果】が決まる。というそれまでの考え方に対して・・・
Bという【受け取り方、認識の仕方】が
Cに大きな影響を与えるのではないか!?
と説いたのがアルバート・エリスのABC理論。
冒頭の例で言えば、
A【アルコール依存の親父に育てられる】
B【兄弟それぞれの捉え方】
C【兄は弁護士、弟はアルコール依存】
という訳です。
不登校支援なんかもさせていただいてるので、
日常的に聞こえてくる言葉の中には学歴的な話も聞こえてくるんですが、
最低でも〇〇学校ぐらいは行ってもらわないと・・・
なんて受験を視野に入れた話も聞こえてきます。
Aに何が入ったとしても、その後のBでCが変わってしまう。
A【我が子が不登校になった。】
B【高校は無理!大学も当然!我が子の人生が終わる!】
C【そうさせてはならぬ!全力で力づくで学校へ!と実力行使。】
Bには親の価値観や経験上の固定概念がモロに影響します。
Bを変える事が出来たらどうでしょうか?
A【我が子が不登校になった。】
B【別に学校が全てじゃないもんね!この子が得意な事を伸ばそう!】
C【学校に行かなくても得意を伸ばせる場探しに走ろう!親が行動。】
Bが変わるだけでCが変わってくるのは火を見るより明らか。
これがABC理論。後に論理療法といって、
多くのカウンセラー達がカウンセリングに用いる
心理療法に移行していきます。
頭だけでわかってもなかなか・・・なので、
時間をかけてカウンセラーと二人三脚で
Bへの疑問を仮説立てていくんです。
不登校を気にして気にして仕方ない親自身には
不登校を許せない理由があるんでしょう。
親から強く言われて、あの時聞いておけば・・・という後悔があれば、
我が子にはそうはさせまい!と親と同じ教育を繰り返したり・・・
自分自身の生き方が納得いってなければ、
自分自身の問題点を振り返り、反省の中に学歴や、勉強嫌いがあれば、
その反省を活かし、子供と接する事もあるかもしれません。
別段、このお話は不登校だけの話ではありません。
この世の中にあるありとあらゆる出来事Aに対して、
僕らはBを一度通して、Cを生み出して生きています。
例えば、劣等感という単純なものも・・・
A【明らかに自分より優れた者を目にした。】
B【クソっ!!!・・・】
ここまでの過程を劣等感と心理学的には言うんですが・・・
皆さんが問題視する劣等感というのはこのBの【・・・】の
部分で問題を生むか生まぬかが重要なんです。
A【明らかに自分より優れた者を目にした。】
B【クソっ!!!努力の仕方が違うんだろうなぁ・・・調べ直そう!】
C【翌日からの努力を変え、より慎重に成果を重視するようになった。】
このように前向きな結果も劣等感から生まれます。
が、
A【明らかに自分より優れた者を目にした。】
B【クソっ!!!やっぱり自分は才能がないんだ・・・】
C【劣等感に耐えられず、二度とその競技はしない事にした。】
この結論も劣等感から生まれます。
一般的に問題視される劣等感は後者ですが・・・
これは劣等感が悪いというより、
その劣等感にコンプレックスを感じる事に問題があるんですよね。
劣等感から生まれるコンプレックスに身を任せると、
劣等感は一種の拘りになり、他者から見て
頑なな価値観にさえ見えてきます。
我が子を学校にどうしても行かせたい方。
どうしても自身の見た目が好きになれない方。
仕事していない人を見下してしまう方。
学歴、育ち、豊かさ・・・
関係ないよ。そんなの。
って一蹴されると、イラっとする方もいますよね?
しかしながら、それはあなたの拘りの強さから
生まれてる可能性もあるんです。
コンプレックスは拘りになる。
さあ、柔軟性、あなたはどうでしょう?
最近、素直さが大切という話もよくします。
あなたはどうかな?
火曜日!スタートです。