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「仲の町3バカトリオどたばだ奮闘記」 第2章 町立 勝浦小学校18


第2章 町立 勝浦小学校18
 
小学校4年生のある日の事である。
「たけし、ボウリング連れったろか。」お父ちゃんはマグロの仲買いだったので土曜日は休み。僕ら小学生は昼までだった。「ほんまかん。タコちゃんとナカシャも誘ってもええ。」と僕。「ああ、ええよ。」「分かった。ちょっとタコちゃんとことナカシャとこいってくるわ。」僕の家からタコちゃんの文房具屋までライダー号(自転車であります)で5分、ナカシャとこまで3分であった。2人ともただやったら来るので。即「うん、行くよ。30分後にタケちゃんとこやね。」の返事。その頃はまだ、電話が各家庭にある時代ではなく、なかなか不便だった。そして僕のお父ちゃんは、車に乗って無く、僕ら3人はライダー号、お父ちゃんはマジンガーZ号(んなわけありません。笑。)お父ちゃんは、いかにも昔のがっしりしたおそば屋さんの出前で使うような大きな自転車に乗り勝浦駅裏のボウリング場に乗り込んだのである。その頃(昭和40年後期)はボウリングブームで、中山律子さんが特に人気でテレビでもボウリングの番組をよくやっていて、律子さんは、CMにも出ていたほどだった。「りつこさん、なかやまりつこさん~。」というフレーズが有名だった。那智勝浦町にも、今の駅裏のホテルの所に、あと元教育センターの所にボウリング場があった。(まだあったかもしれませんが、すいません、覚えておりません。)建物の上に大きなボウリングのピンが立っているので遠くからもよく分かる。なんとかボウルと。そうこうして、僕たちはお父ちゃんが、4人分のお金を払い靴を貸してもらって、仲の町4バカ(お父ちゃんごめん)グレートデラックスボウリング選手権がはじまったのである。お父上はお江戸の4大学に学んだ天才でありましたから、自分でシティボウイとぬかしていたが(汚い言葉、お父上おゆるしくだされ)結構うまく、あと何故かナカシャがうまかった。僕とタコちゃんは書くのも申し訳ないほどでありました。はい。でもそんな結果でも楽しく、子供だけで行けなかつたので、お父ちゃんに連れて行ってもらう機会が多かった。おもちゃでも野球盤も人気があったがボウリングゲームも人気があつた。しかし高かった。僕の親戚に東京で会社の社長しているおじさんがおり、盆と正月に勝浦に良く遊びに来ていた。だからタケちゃん坊ちゃんは言葉巧みにお土産のリクエストをし、デラックスボウリングゲームを手に入れていたのである。土曜日以外は、学校が終わったら良く僕の家で仲の町グレートデラックスボウリング選手権(ゲームやけどね)をおこなっていたのである。ボウリング場では、今はボールを投げると自動的にスコアが電光掲示板に示されるが、昔はスコアの用紙と鉛筆をもらい手書きである。スペアとかストライクとか全部手書き。面倒くさかったが、ボウリングをやっている間、ぼくちん達は、シティボ-イの香りに酔いふけっていたのであります。また、終わった後の一杯(いやいや、冗談です)、終わった後の瓶のファンタグレープはシティボーイの味がしましたとさ。  つづく。
 
 
 

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吉村 剛
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