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「仲の町3バカトリオどたばだ奮闘記」 第1章出会い、そして入園  2


第1章出会い、そして入園  2
 
かずちゃんとさとる君と出会ってから、たまーに3人の母親がらみで会ったとき遊んだりしたが、まだ3人だけで遊んだりとかは無かった。僕たちが3歳の1月に私立 勝浦幼稚園の入園説明会があり3人とも母親に連れられて参加した。当時那智勝浦町には幼稚園、保育所が何軒かあったが、旧勝浦町(1区から6区)の子供たちの多くは勝浦幼稚園に通っていた。1週間後に入園の許可のお知らせが、手紙で届くことになっていたが、うちの母親は僕には結果をしばらく言わなかったみたいだ。ある日お昼ご飯を食べているとき、おかあちゃんから「タケちゃん、幼稚園もう一年遅くから行くようになってもかまんかん。がまんできるかん」と聞かれた。あまり意味が分からなかったが、「別にかまんよ」と答えたらしい。後年「なんでかずちゃんや、さとる君はその年から幼稚園に通ってたのに、なんで僕だけ翌年からやったん」と聞いた。おかあちゃんは、僕が悲しまんように、笑いながら「おかあちゃんらもかずちゃんらみたいに赤組から入れよう思うて、幼稚園の説明会に連れて行ったんやけど、一週間後に不合格の手紙が来たんや。理由聞くのに、おかあちゃん幼稚園行ったんやけど、幼稚園の先生が『吉村さんとこの子供さんは申し訳ありませんが、あまりにも手に負えないので来年もう一度面接にきてもらえませんか』といわれたんや」。
「おかあちゃん、僕そんなに悪かったんか。」「あんた、入園説明会の体験入園で、先生らに鼻〇そ付けまわるし先生のスカートめくったりかなりアホなことしたらしいで。定員より多くの希望者おったらまず落とされるもんなぁ」と笑いながら答えた。この頃僕はかなりの悪ガキでさすがに、おとうちゃんとおかあちゃんは、こわいのでいうこと聞いてたが、他では悪さばかりしていたらしい。ということで僕は人生で初めて幼稚園面接不合格という挫折を味わうのである。といっても本人は全然こたえてなく、家の中では今まで通りいっしょに暮らしていたおじいちゃんのいとこの次郎おいちゃんに遊んでもらったり。かずちゃんやさとるくんとも3人で遊ぶようになっていった。僕らは三輪車の少し大きめの自転車に乗っていて仲の町中を走り回っていた。仲の町とは、現在で言うとバスターミナルよりのマグロ料理で有名な桂城の前の道を入った通りから右にずっと中嶋酒店あたりまでの地域である。この海岸通りに面したあたりは、夕方になると浴衣を着た観光客が下駄の音を鳴らしながら行き来していた。そして1本入ったいわゆる仲の町通りには、桂城側から食べる物なら何でもそろった田中フードセンター、パーマ店、学校の制服を買った中村呉服店、靴店、僕が初めてウィニーを買って食べた新谷精肉店、大石呉服店、クリーニング屋、大井魚店、浜薬局、和中歯科医院、紀陽銀行勝浦支店、新宮信用金庫勝浦支店、吉野百貨店(よく言われたが、僕の実家でも親戚でもありません) 、タケちゃんがいつも坊っちゃん刈りにしていた鳥居理容店、コロッケが抜群にうまかった新田商店、船具店、あべくらたばこ店、森本かしわ店、中嶋薬局と1キロもない通りにこれだけの店が並んでいてこの仲の町通りだけでほとんど用が済むというすばらしい場所が僕たち3バカのどたばた奮闘記の主な舞台であります。この後1年して僕の再度の入園面接と続くのであります。
つづく          

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吉村 剛
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