見出し画像

インドネシアのクラカタウ

TVで、世界遺産:インドネシア初の国立公園であるウジュンクロン国立公園を紹介していました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/57e501b0b9aecb18bc3d3b6ecd01e2513a7a2d7f

この中で、1883年のクラカタウ火山の大噴火に触れていました。この大噴火は、人類が記録してきた中でも最大の大噴火だったことが記録されているそうです。全世界で残されている気象データからは、なんとその爆発音は5日間にわたって地球を4周したことがわかっているとのこと。この大噴火による影響は北半球にまで及び、気温を1℃下げた(寒冷化を引き起こした)とも言われているようです。

また、噴火で発生した火砕流は海上40kmを越え、噴火により発生した津波が周辺の島を洗い流し、航海中の船を激しく揺さ振り、死者は36,417人に及んだということです。2004年のスマトラ島沖地震が起こるまでは、インド洋における最大の津波災害だということです。

以前、仕事の関係で、インドネシアに何度か訪れ政府や企業関係者と打ち合わせを行いました。主だった企業の一つにクラカタウ・スチール(PT Krakatau Steel Tbk)がありました。この企業は、バンテン州チレゴンに本社を置くインドネシア最大の国営鉄鋼メーカーであり、社名の由来となったクラカトア火山と島がある280ヘクタール(700エーカー)の敷地に工場を構えています。

この企業は1960年にスカルノ大統領が、独立した高付加価値の国産産業の発展を支え、国の経済発展に影響を与えることができる製鉄所を持つために始めた「トリコラ鉄鋼プロジェクト」の現れとして結成されました。因みに、トリコラ山はパプア州にある標高4730メートルの山で、マオケ山脈の一部をなすスディルマン山脈の東部にあります。

画像1

1962年5月20日の設立時に旧チレゴン製鉄所と呼ばれた同社は、ソ連の協力を得て正式に設立、しかし、深刻な政治・経済の混乱が起き、工場建設は中断されていました。

1970年代初頭工場単位で建設を再開し、正式にクラカタウ・スチールの名の下に、1970年8月31日に運営されています。チレゴンにおいて、スハルト大統領(当時)指令の下、クラカタウ・スチールは、急速に発展し、水処理センター、Cigadingポート、Cilegon 400 MW発電所と製鉄所などを統合した事業運営を行ってきました。


いいなと思ったら応援しよう!