自由な不自由
年末に「アーヤと魔女」が放送されてたのをみた。
たまたまTVをつけたらやっていたのである。
ときは15:20ごろで、リモコンのボタンを押すと15:05から始まってることを教えてくれた。便利ですね。
うーん、冒頭15分見逃した今から観るべきか?
この問いに即回答を出さなければ、物語はどんどん進んでしまう。その10秒で大事な伏線を見逃してしまうかもしれない。
うん、観よう!とにかく観ることにした。
ビールを飲みながらだったこともあり、その後に寝落ちしてしまったので、結局は冒頭15分どころか終盤1時間以上も見逃すことになりました。いったい何だったんだ、あの葛藤は。笑
この経験で、ぼくはいくつか大事なことを思い出す。
まだ空のビデオテープが千円以上してたころ、録画する番組は厳選されたものだった。
SNSなどない時に、作品との出会いは偶然が多かった。
たまたま付けたTVで、5分見逃そうが30分だろうが、ストーリーを脳内で補って番組を楽しんだ。
いまは、タイムシフト、オンデマンド、いつみるかもわからないTB(テラバイト)レベルの留守録によって、見逃すという危険のない中で安全に視聴することができる。
ふと頭をよぎる疑問。こんな「安全な視聴」によって、想像力が退化してしまってるのではないか。
緊張感もなく、ハプニングもない、保険だらけの体験。
楽しみ方が変わったといえばそうなんだけど、ワクワクすることは減ってしまった気がするんですよね。
そういうわけで、ぼくは不自由を楽しむために、想像力の欠如を警醒しよう。
そしてネット配信で「アーヤ」を観ることは封印しておこうと誓うのでした。
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