幸福の範囲、不快感の許容度
「幸福論は広く共有されるが、不快感の許容範囲はグッと狭い」
7年前の11月9日。ぼくに何があったのか知らないけど、そんなメモがクラウドに残されていた。
めちゃくちゃ不快なことがあったのか。
はたまた、不機嫌なぼくを誰かが諌めたことに反感をもってメモをしたのか。
続けてこんなことが書いてある。
「いいことは『まぁいいよね』と受容されるが、嫌なことは1ミリも許されないことがある」
ますます自分に何が起きていたのか気になる。
誰かに何かを全力で否定されたのか、過去の自分よ。
究明すべく過去のカレンダーを立ち上げた。
昔からGoogleカレンダーを使っていたので、その日に何があったかを調べてみた。実はこれ書きながらリアルタイムに調べてます。笑
その日は、新宿のデベロッパーに直行していることが判明した。メモの保存時間が8:58なので、恐らく電車の中で書いたもの。
通勤電車の中は、確かに不快なことだらけなので、何か気に触ることがあったのかもしれない。
前日の夜は、友人主催のイベントに参加してるが、そこでは何もなさそうな気がする。いずれにしても7年前の11月9日の朝に何かが降臨したらしい。
世間でどんなことに不快感を感じることを調べたら何かわかるかもしれない。してググってみた。あった。しかもたくさんのランキングがあった。
不快、強いな。
検索トップにある記事を参考にしてみる。さすがAllAbout。SEO対策もバッチリですね。
ランキングによると人間関係のストレスすごい。そして通勤電車よ、お前もか。
通勤電車で何かあった疑惑は拭えませんね。
原因はさて置き。メモの検証に戻ります。
確かに幸福感にまつわることは共感しやすいと思います。例えば、
(Aさん) 「ネコみてたら癒されるわ〜」
(Bさん) 「うんうん。そうだね!」
という図式は成り立ちやすい。たとえBさんが犬派だとしても、否定されることはない。
逆に、不快に感じることは、なかなか流すことはできない。こんな感じ。
(Aさん) 「納豆ってほんとうおいしいわぁ」
(Bさん) 「いや!あのニオイは絶対無理!」
と、全力で否定される。納豆に罪はないけど。ぼくは大好きだけど。
どんなにAさんのことが好きで尊敬して慕っていたとしても、不快に感じるものへの反感は目減りせず、まったく容赦ない。
そう思うと、自己紹介とかで好きなものなんかをよく話題にするけど、よい人間関係を築くには、相手の不快なものを知ることが大事かもしれませんね。
ちなみに全人類共通で嫌悪するものを考えてみました。
それは、黒板を爪で引っ掻く音!これ一択で間違いない。
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