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History of yosemic【第0期】~創立前夜~(後編)
yosemicの活動の軌跡をお届けするシリーズ“History of yosemic(仮)”。第0期は、yosemicの創立前夜。yosemicができるきっかけとなった出来事や、yosemicに対する想いを、創立メンバーであるKotaro・Hibiki・Taitoと、2ヵ月前にyosemicにジョインしたShioriが対談形式でお届けします!
yosemic(ヨセマイク)の名前の由来って?
Shiori:そういえばさ、前回History of yosemic【第0期】~創立前夜~(前編)の最後に「マイクを持てば誰もが表現者になれる」っていうコンセプトの話があったけど、yosemic(ヨセマイク)のマイクも関係がある?そもそもなんで“yosemic”っていう名前になったの?
Hibiki:これはもうKotaro大先生が(笑)
Taito:いろんな案があったんだよね。
Hibiki:おれ、他のだと”now here”しか覚えてないわ(笑)
Kotaro:4月26日に3人で会った時に、それぞれの案を次回までに持ってこようという話になって1週間考えてたんやけど。やっぱり日本人が集まってるから日本的な名前にしたいなというのと、オープンマイクってところは分かりやすい方が良いなと思ってて。
このオープンマイクっていうのは勝手にアメリカのものと思い込んでたんやけど、日本にもこういうノリってあるんちゃうかなって考えた時に、オレらがやろうとしてることって日本的な言い方をしたら寄席に近いんちゃうかなって。大衆的な寄席文化の他にも浪人とか流しの人が弾いたりしてることもあったわけやし、色々な人が寄って集まったりする意味もあるから「寄席ってすごくええな」って思ったんよね。
Kotaro:それに何か合わすとしたら何がいいんやろう?とこねくりまわした結果、オープンマイクのマイクって象徴的なものやし、組み合わせて一人でぼそっと「ヨセマイク」って呟いたときに、なんか口当たりも良かったんよね。アホみたいな名前やねんけど(笑)これはみんな言いたくなるんちゃうかなと。
日本的な価値観とアメリカの価値観、両方ひっくるめた名前にしたいと思ってたし。
Shiori:そのときから日本での活動とかってなんとなく想定してた?
Kotaro:してたしてた。それこそ響が最初に”U25″を使って色々やりたいって話の時から、東京でイベントもしたいよねって話は去年の4月とかに出てたんちゃうかな。資料も残ってるはず。
Hibiki:資料(笑)
Taito:スライド作ったもん(笑)
Shiori:すごい、ちゃんとしてる。
想いに共感してくれる人を集めた “ゼロ次会”
Shiori:名前が決まった後はどんな感じだったの?
Taito:最初にこの3人の他にも友達を集めて話してたときに、yosemicがやりたいコアの部分の想いの方がみんなで共有できることが多くて。最初はこの想いに共感してくれる人を集めたいっていうのが強かった。まずはイベントをする前に、仲間というか、想いに共感してくれる人達を集めて「こういうイベントをやりたいんだ!」っていう決起集会をやろうって話になった。
Shiori:あーそれが噂の“ゼロ次会”か!
Hibiki:YesYes.
ゼロ次会
Kotaro:それこそさっきHibikiが言ってたみたいに、「これをおもしろいと思う人がオレらだけなのか、みんななのか」っていう不安はずっとあって。少なくともメンバーの中の一人がまだ納得してないのに、それを外に出してどうなんかなっていうのもあったから、じゃあ色々なタイプの人、役者の友達とかダンサーとかイラストレーターとかを集めて、みんなの意見を聞こうっていうのが決起集会の目的やったと思うな。
Shiori:そのとき何人くらい集まったの?
Hibiki:15人いないくらい?
Taito:みんなで座って輪になってしゃべって、「こういうことをやりたいんだ」だけじゃなく、どんな目的でみんなはNYに来たかとか、どういうことしたいかとかを一人一人ちゃんとすり合わせられる人数にしようって話してたんだよね。だからそのくらい少数。
Shiori:印象深かったこととかある?
Kotaro:今もやねんけど、伝えることの難しさはずっと感じてて。オレが素晴らしいと思ってることを相手に伝えても、こちらが伝えたいことに気づいてくれるきっかけとかは人にも依るし、コントロールできへんもんやから。そこの難しさは決起集会でも感じた。しかもうまく伝わらんかったと思ったらすごい落ち込んじゃうし。
Taito:そうだね…
Kotaro:熱量は伝わったかもしれんけど、届けたかったメッセージとか考え方は伝わったのか微妙やったなとか、最初のころはメンバーへの伝え方も含めてオレは悩んでたかな。
Shiori:みんながバラバラのバックグラウンドを持ってる人達だもんね。日本からNYに来たっていう共通点はあるけど。
Kotaro:そこにむしろ確信があって、「みんな何かの目的があるからNYに来てるんやったら、そこでなにか共通してるもんもあるはずや」ってのは信じ続けてたかな。
Taito:俺もKotaroくんの気持ちはすごい分かって。「これがやりたいんだ!」っていうのを伝える一番良い方法って完成形を見せて伝えるってことだと思うんだけど、俺らがやりたいことを早く作ってしまえないもどかしさみたいなものはあって。イベントをするようになってからも、「まだこんなもんじゃないんだ、たしかにアーティストはステージに立ってるけど、俺らがやりたいことはもっと大きなことなんだ!」っていう葛藤はずっとあったよね。金銭的にも、人数的にも。
Kotaro:イベントの大きさとかもやし。もっとできるっていうのはずっとあった。
Hibiki: 俺は、NYに来てる人たちはチャレンジしには来てるけど、逆に自分で戦ってる人達がほとんどだから、コミュニティで何かをするってことをしないんじゃないかなって。ジャズの人だったらジャズの世界に行くのを目的に来てるだろうし。「色々な人を集めてパフォーマンスする場にそもそも来るかなぁ?」と結構悲観的に見ていた。「大丈夫かな?一人でも集まるかな?」って。
でもそうしたら「大丈夫。一人集まったら一歩なんだから」って二人に言われたのを覚えてる。「一人集まったら一歩、雪だるま式に大きくしていこう」って。
あと、ゼロ次会のときに少なからずリアクションくれた人たちがいて、「これはいけるのでは!?」と微かな希望がありつつも、「やっぱり伝えるのむずいなー」っていうのをひたすらしゃべり続けるという反省会を朝までしたね(笑)
Kotaro:朝まで話したなぁ(笑)
朝まで・・・
Hibiki:「オレこのあと仕事やねん」「大丈夫か?」「でも今が一番大事やねん…」とか言いながら(笑)
Kotaro:当時ラジオ局で働いてたから朝8時からの生放送に間に合わなあかんかったんやけど、朝の7時までとか、ほんまにぎりぎりまでHibiki、Taitoくんと、あとTeruくんとArielleとずっと話したなぁ。脱線もどんどんしてって、日本のこういうとこが好きじゃないとか、環境問題とかも取り上げたいとか、深いところまでみんなが考えていることを聞けて、「まぁ不安もあるけど、こんなに話せるんならなんかいけるな」って思いながら徹夜で仕事に向かった(笑)
Shiori:そこがターニングポイントだったんだね。
Kotaro:それこそ理想と現実の両方をつきつけられたみたいな。
Hibiki:希望はあれど、壁は高いって感じ。
Kotaro:絶対にできるみたいな確証もなかったし、希望と同じくらい不安もあったと思う。
真夜中のNYで反省中のKotaro。おそらく「オレこのあと仕事やねん…」と言っている。
Hibiki:ただ4人でしゃべんのはめちゃくちゃ楽しかったけどね。
Kotaro:そうなぁ。
Shiori:なかなか朝までとかいけないでしょ(笑)本当に興味あるとか、やりたいってことじゃないと。
Kotaro:そのときはのちにyosemicで頻繁に朝まで話すことになるとは思ってなかったから。
Shiori:むしろ”ゼロ次会”で朝までコースの流れを作っちゃったんじゃない?(笑)
ラジオ“yosemicの自己放送”
Kotaro:あと、「yosemicのイベントに何の見返りもなく人が来てくれるのかな?」っていうのはあったから、客寄せパンダじゃないけど、もう一回来たいって思ってもらう仕組みを作ろうと思ってラジオ番組も始めることにしたんよね。
一応「全米に流れているラジオ番組のゲストをイベントから選びます!」ってなったら、NYにいる人ってそういうメディア露出とかをすごいハングリーに探しているから、「ラジオに出たい!」って言ってくれる人は増えるやろって思って。で、当時働いていたラジオ局に企画書を出してそれが通ったのが第1回目のイベントの前かな。
Taito:“ゼロ次会”のときにも色々意見をもらった中で、ブロードウェイを目指してるとかコンペティティブな環境にいる人からしたら、素人も同じステージに立つって俺はそんなところで時間を無駄にしたくないって言われ方をすることもあって、俺らがやりたいところでどうやってアーティストに還元できる形を作っていくかを提示しなきゃいけなかったタイミングでKotaroくんが、「ラジオできるで。」って言って。「まじ?」って(笑)テンションあがったよねあれ。
Hibiki:ぶんどってきたみたいな(笑)
Taito:早くね?って
Shiori:それすごいね(笑)
Kotaro:やっぱスピード感は大事やから。できることはすぐしようってあのときはなったなぁ。まぁ今もやけど。
Shiori:なんかさ、私とかは入ったばっかだけど、yosemicって本当に色々なバックグラウンドの人が集まってるのもあるからなのか、やりたいって思ったことを「あ、やっちゃうんだ(笑)」って感じで本当に実現しちゃうとこあるよね。
Hibiki:本当に(笑)
yosemicに対する想い
Shiori:私はみんなが新型コロナで日本に帰ってきてから、出会って参加した組だから、NYの時の話とか、そもそもyosemicができた経緯ってなんなんだろなって思ってたの。今日色々聞けて嬉しいなぁ。この団体は素敵だねぇ。
Hibiki:逆輸入できてたらいいなぁ。みんなにもこの気持ちが伝わってたらいいなぁ…
Kotaro:Hibikiがこう言ってくれるのも嬉しい。それこそはじめたての頃はどっちかっていうと反対ではないけど、、、
Hibiki:疑心暗鬼よ(笑)
Kotaro:「素人が俺と一緒の舞台で弾くんじゃねーよ!」ぐらいの感じがあったから(笑)
Hibiki:そうよ、「俺どんだけ時間かけてピアノ練習してんの!」って(笑)それが「素人と並んでやってそんなショーこないでしょ!」ぐらいの立ち位置だったから。
Kotaro:それにオレとかTaitoくんが一生懸命、「そうじゃないやん!そこじゃないおもしろさがあるやん!」って言ってたんよね。
NYってはなからコンペティティブな街やから、そういうことしたい人はそういう場所があるから、そうじゃないもっとピュアな、それこそバスキアとかじゃないけど、アーティストがほんまにやりたいことを仲間同士でやるとか、表現しあうっていう。
「ショービジネスのためとか、自分のオーディションのためとか、ビザのためとか、何かのためじゃない、自分のための場が一つくらいあってもいいやん」っていうのはずっと言い続けてて。そういう場になってきてると思うし、そういうことをもちろん、みんなでぶつかりあったりもしたけど、色々な話をし続けてたのがこの第0期にあたる最初の3ヵ月やったんかな。
Shiori:何かを目指す、道を極めるってことはさ、何かを犠牲にすることもあるわけじゃない。どんな分野でも。それとは別で、心の底から子供の頃みたいにわくわくするとかいう時間がyosemicの時間には流れてるんだろうなって感じてるな、私は。
Hibiki:それめっちゃいいなぁ。
Shiori:色々な人の思惑とか考えちゃうと、「これ私が本当にやりたいことだったんだっけ?」とか、そういう葛藤が生まれてしまうこともある。だから気持ちに正直になる場って素敵だなって思う。
Kotaro:オレの考えやねんけど、みんながみんな絶対に100%オリジナルな人生を歩んでいるわけで、そこから出てくるストーリーって誰も聞いたことない話なはずやし、それこそ自分に自信がなかったりするかもやけど、誰かに話したらめっちゃおもしろいとか、興味をもってもらえるもののはずやっていう気持ちがすごくある。
yosemicがやってたラジオ「yosemicの自己放送」のコンセプトもそうなんやけど、自分は自分のことをおもしろくないと思っていたとしても、案外話してみたらきっと絶対に面白いと思ってくれる人がいる。こういう考え方をyosemicで大事にしていきたいって当時から思ってるし、今も引き続き大事にしたいって思ってるんよね。
Shiori:いいね~。自分のありのままを思い切って表に出してみたら、思いもよらなかった反応が返ってくることってあるよね。
じゃあそろそろ締めにも近づいてきたことだし、最後に言いたいことを一言ずつ!
Hibiki:結構いつも言ってることだけど、自分にも言い聞かせてるところでもあるけど、技術とかで評価するではなく、自分で表現することがその人にもすごい楽しいことだし、表現することは尊いことだし、観る人にとってもそのパッションを観れるのは本当に楽しいことだよっていうのが存在する場であり続けたい。
Taito:自分がミュージシャンじゃないながらもステージに立ってきた身としては、おもしろいものって受けとるだけじゃなくて、自分が参加して作るものだということを伝えたい。
たとえば、自分ともう一人誰かが、お互いに全く違う方法で何かを伝えようとしたとき、一見2人の伝えたいことは全然違うんだけど、その違いの中には必ずどこかすごく共感できる部分もある、受け身でいるだけじゃなくて自ら参加すればそういう体験が実感として感じられる。
これって人との向き合い方だったり、社会の向き合い方とも一緒で、「こんなに違うのに、あ、一緒なんだ」というところに気付けるのが、芸術だと思うし、yosemicでずっと伝えたいことかなと思ってる。
Kotaro:yosemicでやりたいことはもう実現されてて、あとはそれを続けていくだけやなって思ってる。それは今こういう場にShioriが参加してくれるみたいに、会ったことなかった、それこそ友達になれると思ってもみなかった人に出会えて友達になれたりとか。
こういう活動していく中で、自分が知らなかった自分に出会える場に、yosemicはもうなってるから、その場を維持し続けていきたいし、もっといろんな人にそのことを伝えていきたい。それを続けていきたいって思ってるかな。
Shiori:知らなかった yosemicの立ち上げ前の話とか想いを聞けて、なんだか今夜は良い夢が見れそうだよ!(笑) 次回はちょっとメンバーを変えて、具体的にどういう風にイベントやラジオを実現させていったのかを振り返っていこうと思います!
左上からNYにいるKotaroと日本にいるShiori、Hibiki、Taitoでお送りしました!(そして右下は、写真出演のShotaro、いつか出てくる…はず!
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