History of yosemic【第0期】~創立前夜~(前編)
yosemicの活動の軌跡をお届けするシリーズ“History of yosemic”。第0期は、yosemicの創立前夜。yosemicができるきっかけとなった出来事や、yosemicに対する想いを、創立メンバーであるKotaro・Hibiki・Taitoと、2ヵ月前にyosemicにジョインしたShioriが対談形式でお届けします!
最初は・・・・・
Shiori:はじまりました~~。みんなおつかれ!&おはよう!Kotaroそっちは今何時?Kotaroそっちは今何時?
Kotaro:NYは9:20やね。
Shiori:朝だ!こちらは22:22だよ。
Taito:刻むね~(笑)
Shiori:記念すべき第一回目はyosemicが出来る前、立ち上げ前夜について話をしていこうと!私も知らない話、創立メンバーのみんなに沢山聞きたいなーと思ってます。よろしく!
<↑左上からNYにいるKotaroと日本にいるShiori、Hibiki、Taito、そして写真出演のShotaro>
Shiori:3人は創立メンバーということだけど、3人が一緒にyosemicを立ちあげるきっかけってなんだったの?
Hibiki:俺が音楽の大学院卒業が見えてきて、「これからどうしよう?」っていうのを考えてた時に、自分の音楽活動以外にもなにかやりたいなと思って。それこそ起業してみたいとか、違う活動をしてみたいとか。その時にぽろっと頭に浮かんだのが、2018年に日本人コミュニティの『U25』で出会ったKotaroとTaitoだった。
Taitoは”U25”を運営してて、連絡した時は“U25”はもうほぼ動いてなかったんだけど、100人くらいのコミュニティがあるのにもったいないなと思っててさ。それで今Taito何してるんだろう?って思ってTaitoのFacebookの投稿にコメントしたの。全然返信はなかったんだけど(笑)
Taito:はは(笑)
Hibiki:Kotaroにも「最近どうしてんのー?」って連絡した。Taitoからは返信来ないし、「嫌われちゃったのかなー。。」とか思ってたんだけど、なんかたまたま連絡きたんだよね。
「いまなにしてんの?」みたいな。「あぁ!俺嫌われてなかったぁ!」と思った(笑)
それでほぼ同時期に別々だけどKotaroとTaitoと飯にいって、「なにかやりたい!」ってことを伝えたんだよね。
Shiori:最初からyosemicの活動のメインだった「オープンマイクやりたい!」とか明確なものがあったわけじゃなかったんだ。
Hibiki:そうそう、全然音楽とかだけじゃなかったね。ビジネスの立ち上げとかも考えてた。Taitoをもう一度奮い立たせて”U25”をどうにか復活させてなにかやれないかなぁって勝手に期待してたし(笑)
Kotaro:そういうことを考えてたんは全然知らんかったなぁ。Hibikiから連絡がきたから、じゃあごはんでも行こうかってなって。チャイナタウンのWonton Noodle Gardenっていう、後にyosemicのメンバーとも頻繁に行くことになった店で食べたんよね。
Hibiki:思い出の地(笑)
Kotaro:その時に Hibikiから「ちょっと相談あるんだけど」って話を聞いて。何かをしたいんやろうなって気持ちは伝わったし、「何かできそうやな」とは思ったけど、正直話が全然まとまってなくて(笑)。オレは当時そんながっつり関わろうとは思ってなかった。それこそ、当時は“U25”で何かやりたいって言ってたけど、オレはもうその時26歳やったし。
Shiori:もうアンダーじゃない(笑)
Kotaro:個人的にもバンドの活動とかビザの更新が終わったばっかりで忙しくなり始めてた時期やったから相談は乗るけどみたいなスタンス。でも、ヌードルをすすりながら話をしているうちに、こんなんもできそうやな、あんなんもできそうやなってなってって。
その時がオレ、バンドの活動でオープンマイクに毎週のように出てた時期やったんやけど、「日本人のアーティストのコミュニティみたいなのはあるようでないな」っていうのをちょうど思ってたから、オレのアイディアとHibikiのアイディアが合わさったらおもしろいことになるんちゃうかなと思って。
Shiori:そこで初めてオープンマイクが出てきたんだ。
Kotaro:そうそう。
Shiori:なんか私のHibikiの印象って“特攻隊長”で(笑)yosemicの最初もHibikiががーっと特攻して、Kotaroがやってたオープンマイクと良い感じで組み合わさったって感じなんだね。
全員:ははは(笑)
KotaroとHibiki、U25のBBQイベントで初対面。初々しいね。
一方、“U25”の立ち上げ人としてラジオに出演するTaito。当時Kotaroは日本人向けのラジオ局で働いていて、Taitoにオファーの連絡をしたのが2人の最初の出会い。
オープンマイク “Little Skips”
Hibiki:そう、俺ががーっと何かやりたい!と言ったのをKotaroが具現化してくれた。俺の記憶だとKotaroと個人的な話した後、Silk Road Caféに移動して、「Taitoは今空いてるかな?呼ぶかー!」ってなったんだよ。
Taito:俺自身は“U25”の活動してたとき、同時に留学生向けのウェブメディアとかもやってたんだけど、人の役に立つ情報を25歳以下の人に届けるっていうのに、なんとなく違和感を感じてたんだよね。俺的には美術史専攻でアートを勉強してきたから、アートに関わること何かしたいって思ってて。
で、Hibikiさんに呼ばれて行ったらKotaroくんとほぼ1年ぶりに再会して、Kotaroくんがオープンマイクで活動してるって聞いて「あ、これ広めたらなんか面白いことになりそうだな」って思った。当時さ、バーニングマンっていうイベントにすごいはまってて、アートなんだけど、コンセプトがあってムーブメントになりそうなイベントをやっていきたいっていうのもあって。Kotaroくんからオープンマイクっていうキーワードがでてきてからは、俺はこれは新しい“U25”とは違うコミュニティができるんじゃないかってものすごく前向きに思ってた。
実は早速その夜に、Kotaroくんに「オレがよく行ってるオープンマイクがあるから行ってみる?」って言われて、俺とHibikiさんで『Little skips (※)』っていうところのオープンマイクのイベントを観に行ったんだよね。その日のうちに、「あ、オープンマイクはもしかしたらやばい、はねるかもしれない」という確信に変わったかな。
※BrooklynのBushwick地区にかつてあったカフェ。現在は残念なことにカフェ自体が潰れてしまった。
Hibiki:懐かしい。
Kotaro:“Little skips”で行われてたオープンマイクは、ミュージシャンも集まるけど、ビジュアルアーティストも集まったり、ほんまにいろんな奇天烈な人達が集まって20時くらいから24時くらいまで、永遠とみんながパフォーマンスするようなノリで。オレはそこでバンドとして出演したり、他バンドと知り合ったりしてたから、あそこに行ってくれたら2人にオレが思うオープンマイクの良さが伝わると思って。
Shiori:2人はそのときの印象とか覚えてる?
Hibiki:ジャズにもオープンマイクはあって。ジャズのオープンマイクはボーカルの人がバンドの前で歌を歌うっていうのがスタンダードだったから、“Little skips”に行ったら、「あれ俺が思ってたオープンマイクと違うな、いろんな人来るんだな」って思った。色々なことができるのは自由でいいなとは思いつつ、統一性がないから人が集まるのかなって疑問には思ってたかな。
Taito:俺は、ただの主婦の人が、アボカドみたいなテーマの自分で作詞した曲を携帯に書いて、それを横におきながらウクレレで歌ってたの、すごい印象に残ってる。
全然うまくはないんだけど、自分が考えてることを歌にできてて、「ミュージシャンじゃなくてもステージに立っていいんだ」っていう衝撃があった。これなら自分も参加できるし、自分も作れるじゃんと思って。
自分はアーティストについての解説や、プロデュースやマネジメントの勉強しかしてこなかったけど、どこかで自分も表現をしたい何かしらの思いがあったんだよね。今の時代SNSとかもそうだけど、「みんな表現したいってところはあるよね」とも思ってて。それが実現できるのがこの場なのかなってビビっと繋がった。
Shiori:なるほどね~。なんか今のyosemicのイベントにもすごく繋がってるね。色々なジャンルの人がきて、プロアマとかも関係なく。
Kotaro:“Little skips”のホストをしてたジョーっていうおじいちゃんがいて。ひげもじゃのぱっと見、浮浪者みたいなおじいちゃんなんやけど(笑)
ジョーがMCをしてイベントをまわしてたんやけど、いつも「ここはNO DISCRIMINATION、差別もないし、この場に立った奴らをちゃんとみんな見て、感じて、リアクションをしよう」って毎回行くたびに言ってた。ジョー自身もミュージシャンなんやけど、色んな楽器や、時には体を叩いてリズムをとって歌ったり、ほんまにいろんなことをしてて。行くたびに全然違う人がきてたし、毎回見る人もおったけど、「お前誰やねん!」みたいな人もきてた。
そのごちゃごちゃ感をオレはどこかで欲していたし、自分でもやってみたいという気持ちもあったから、2人が“Little skips”に行ったら絶対におもしろいと思ってくれると思ったんよね。
NYの中だけでもオープンマイクって星の数ほどあって。ミュージシャンだけをメインにしているものもあれば、コメディアンが8割で2割はミュージシャンってのもあるし、ポエトリーリーディングがメインなとことかもあった。その中で“Little skips”が一番なんでもありなところやった。「5分時間をくれ。俺は友達がいないから、俺の言いたいことを話したいんだ」って人もいたくらい(笑)色々出てきた中で1番好きな場所やったからこそ薦めたんかもしれへんな。
Shiori:NYって普通に沢山オープンマイクあるんだね~。日本にはそんなにないよね?
Hibiki:日本もライブハウスとかだったらあるはあるんだけど、ほぼミュージシャンより。大体シンガーソングライターの子が自分の新しい曲を練習しに来るっていうオープンマイクがほとんどだね。
“Little skips”のオープンマイクに出てるKotaro
マイクの前に立てば誰もが表現者
Shiori:“Little Skips”のオープンマイクを観に行ってから、今の活動にどう繋がっていったの?
Kotaro:お互いにこういう話に興味がありそうな人を誘って1週間後にもう一回話そうかとなって、4月23日に『Silk Road Cafe(※)』で話し出したのがyosemicのMTGの最初かな。
※yosemicメンバーが毎週MTGをしていたチャイナタウンにあるカフェ。後にここのイベントスペースでオープンマイクをすることになる。
Hibiki:最初に“Little skips”に行ったときに、俺も楽しんでたけど、実は「技術がない人達がステージに立ってお客さんが集まるのか?」という疑心が俺にはあったんだよね。俺は音大にいたのもあってか、技術がないとだめと思ってた。みんなのちらばった考えを1つにまとめるような作業を長らくやってた。KotaroとTaitoにTeruくん、美月ちゃんが入ってからも色々な話をしてたかな。
Shiori:技術がなくても集まって演奏とか表現することに意味があると考えが変わったきっかけってなに?
Hibiki:話しているうちに技術がない人が演奏しても、気持ちがのってるとか良い演奏ってあるなと思って。そっか、今まで技術を求めてたけど、それだけじゃないよなって俺の考えが変わった。それで、こういう仲間を集めていこう、そうしたら楽しそうだと思ったんだよね。
Shiori:それって熱量とかなのかな。たしかに日本の感覚でも技術を極めた人のパフォーマンスを見に行くのがスタンダードかなと思っていて、でもオープンマイクって全然そういう縛りないけど、なんかあの場ってみんなでわちゃわちゃ楽しい。これってなんなんだろうね?KotaroとかTaitoくんとかは、当時Hibikiのこういう考えに対してどう思ってたの?
Kotaro:やっぱりオレも大学で音楽を勉強してきたし、技術至上主義みたいな考え方が全然なかったかというとそうでもなくて。でもNYで過ごしていくうちに今日初めて人前でこの曲を演奏しますみたいな瞬間を目にすることがすごく増えたんよね。
ほんまにピュアなエネルギーというか、誰のためでもなく、自分のためにしてるんやなって感じて、鳥肌がたつくらい興奮できた。ちょうどそのとき自分が、ビザをとるために音楽をしなきゃいけないみたいなことを悩み続けてて、「技術がある人はビザをとれる、オレがあまりうまくいってないのは技術が足りないからや」と自分を責めた時期もあって・・・。でもそのために音楽をやってるわけではなくて、自分が表現したいことがあるから音楽をしてるし、その考え方には上手い下手とか、長いことやってるとか、昨日から始めたとかも全く関係ないやん。
「みんながそういう価値観を持てるのか?」という不安はオレもあったけど、「最初はみんな初心者や!誰だって初めての日があるはずや!」ってHibikiにめっちゃ伝えた。一番最初にピアノを弾いた日って覚えてるか分からんけど、きっとめっちゃテンション高かったやろうし、「一番最初に人前で演奏した時の気持ちってすごく大切やんね」という話を永遠としたな。
Taitoくんも何か表現をしたいって気持ちがあるけど、「俺ミュージシャンじゃないんだよね」とか「俺アーティストじゃないから」とか言ってて、「でも始めちゃったらアーティストになれるやん?ギターひいた瞬間にミュージシャンやん?」ということはめっちゃ言い続けてたかな。
Shiori:それ今のyosemicの特徴だよね。まずはなんかやってみて、それも適当とは違くて、自分が本当にやりたいと思うことはやってみれば良いじゃんって背中を押してくれる空気みたいなのはすごい感じる。
Taito:音楽やってない人からすると音楽やってる人って子供の頃からずっとやってて音楽が出来る人、ダンスは子供のころからダンスをやってるから出来る人って思ってたけど、どっかのタイミングでみんな始める機会があっただけであって、ずっと続けてるからダンサーとかミュージシャンって呼ばれる。でも自分も今から始めればダンサーだし、ミュージシャンだってKotaroくんに言われて。なんか俺も自分はアーティストでもミュージシャンでもないって考え方だったんだけど、考えが変わった。
あと、ちょうど友達からギターをもらった時があって、ギターを触ってたら「むず!」って思ったのね(笑)始めてみるとやってきた人たちの凄さに気付けるんだよね。それがすごい面白くて。音楽やダンスを享受する側だけでいると、その凄さってあまり分からないんだけど、「じゃあ自分はできるかな?」って思うと「こんな凄いこと考えてたんだ!」っていうのに気づける。鑑賞するのと表現するの、それを同時に実感できるのが、鑑賞者と表現者がものすごく近い距離にいるのがオープンマイクだなって感じた。
Shiori:あーたしかにそうかも。あの楽しい輪の中に入りたいと思って、実際にやろうとしたらすごい難しい・・・。この話聞いてて思い出したんだけど、Taitoくんいきなりダンスしだしたり、歌いだしたみたいな噂を聞いたよ(笑)
Hibiki:うわーあれ燃えたわ~~~
Taito:(笑)。そう、俺は基本的にいきなり何かしだすんだけど。
全員:あはは(笑)
Taito:オープンマイクをやるって決めた時に、財布を落として400ドルなくなっちゃったときがあって、めちゃくちゃてんぱってて。でもなぜか「400ドル路上で稼ぐまでぜってー帰らねえぞ」って持ってたギターでコードを4つだけ覚えて、路上アーティストにマイクとスピーカーを貸してもらって、アルペジオで1曲だけ歌ったときがあって。それが初めての路上ライブ。それをやったらKotaroさんとかHibikiさんに褒めてもらえて「がんばったね」って。
Hibiki:いや、すげーよまじ(笑)
Taito:結果400ドル失って7ドルだけ儲かったんだけど。
Shiori:すごいよ7ドル(笑)
全員:爆笑
Taito:そのとき、なんかね、気持ちいいなと思って。自分の住む街でただ歌ったんだけど、いつもの街が全く違う景色に見えて「これをミュージシャンはやってるのか」と、ぞわーーーっとしてすごく。HibikiさんとかKotaroくんって当たり前のようにステージに立ってるけど、こんなドキドキすることしてんの!?俺もしたい!(笑)って。
全員:あっはっは!
Shiori:KotaroとかHibikiとかはさ、こういう自分の演奏を見てやってくれる人がいるってどう?
Hibiki:逆に新鮮よね、その言われ方(笑)なんか当たり前になっちゃってるから。多少緊張はするけど、「あ、たしかに最初弾くときそんぐらい緊張したわ」って「たしかに俺すごいことやってんだな」って逆に気づかされる感じ(笑)俺の今までのオープンマイクのベストパフォーマンスはTaitoのオリジナルだもん。あれめっちゃよかったわー。すげぇと思って。レコーディングして売ったら良いんじゃねと思ったもん。
Shiori:それ生まれないもんね、普通は。
Kotaro:オレが音楽をしている理由の1つがそういうところにあって。やっぱりステージに立って自分のパフォーマンスを観てもらったときに、衝動を伝えたいみたいなのがすごくあって。それこそオレのライブを見た時に「何か分からんけど、何かしたい!」って思ってくれたら嬉しいなってのがあったから、Taitoくんが路上ライブとかオリジナル曲やるみたいなのはそこの気持ちが伝わった気がして、自分が信じてたことが間違ってなかったんやなって思えた瞬間やったかな。
Taito:そうそう、Kotaroくんのライブを観に行ったときにすごい感動したのが、Kotaroくんと初めて会った時はラジオのパーソナリティやる人で、音楽やってる人で、すごいかしこくて、ちょっとコワモテだけど物腰はやわらかくて、理路整然とした話を関西人気質でばーっとしゃべるみたいなイメージだったんだけど、
Kotaro:よく出るな、そんな単語いっぱい(笑)
Taito:だけど、ライブハウスでのパフォーマンスはさ、完全に何かが入り込んでるような。初めて見るKotaroくんがいて。
Hibiki:憑依している(笑)
Taito:そう、何かが憑依してるような。「うわーこれがミュージシャンか」って。いつもは「よう、Taitoくん観に来てくれたん~」みたいな感じなのに目の前で豹変してる感じにドキドキして。あ、これは多分俺の中にもあるし、全員の中にあるんだって思ったら、人集めてぇってなった。みんな隠し持ってんだなーっていう。
Shiori:うわーKotaroのライブ観たいな。日本きて(笑) ※KotaroはNY在住。
Kotaro:自分のバンドの方ではロックとかメタルとか激しめの音楽をするから、それこそ頭を振りまくりながらスクリームするようなパフォーマンスをするし、Taitoくんが言ってくれたとおり、自分やけど自分じゃないというか、ギアが入ってる感覚はあって。最初からできたわけではないけど、やってくうちに自分の中の出したい欲みたいなのがどんどん具現化されてって、こう「ギターを持つと強くなれる」みたいな感覚ができていったから、それはみんなも一緒やと思ってて。
だからなんか「マイクの前に立てば誰もが表現者になれる」というのを最初のコンセプトでやってたのも、なんもないところやと言いたいことも言われへんかもしれんけど、その人にスポットライトが当たってて、マイクを持ってる時間はその人だけの時間で、みんながその人の言葉を聴こうとするってなれば、ほんまに誰でもできるなって。
人種も年齢も何も関係なく、全員に与えられてる権利やなってすごく思った。
Shiori:「マイクを持てば誰もが表現者になれる」yosemicの誰に対してもフラットな空気感はこの考え方が根底にあるのかもね。と、ここで記事の上限が、、、(笑)
History of yosemic【第0期】~創立前夜~(後編)では、どうして“yosemic”という名前になったのか、yosemic立ち上げのターニングポイントとなった“ゼロ次会”について話していきたいと思います!
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