天秤

天秤座 (9月24日~10月23日)

 正義と均衡の女神アストライアは、丘の上の小さな住まいで、テーブルの天秤を見つめたままじっと考え続けていた。

 もう何日考え続けているだろう。いや、何ヶ月か。もしかしたら何年も、かもしれない。食事や睡眠を摂らなくても不自由しないためか、時間の感覚さえもうとうに麻痺してて、どのくらいの長さここでこうして考え続けているのか、自分でも判然としなくなっていた。
 出窓から差し込んでくる午後の日差しが清潔な室内に入り込み、窓辺に置いた一輪の白い花を映えさせていた。
 考えている? いや、昔のことを思い出しているだけではないだろうか。
 神々がまだ地上で人間と一緒に暮らしていた素敵な時代のことを。

 天秤は、善悪・正邪を判断する神器である。
 諍いや言い争いなど、どちらが正しいかはっきりしないとき、その者たちの魂を両の皿に乗せるのだ。すると、本当のことを言ってる方、正しい方の皿は下がり、嘘をついてる方、やましいところがある方の皿が跳ね上がる。それで即座に決着がつく、そういう神器なのである。

 だからこれさえあれば、人間の世界に争い事が起きるはずがなかった。起きてもすぐ収まるように、天秤があったのだから。
 実際、作られた当初は使われることはなく、アストライアは自分が天秤を所有していることさえ忘れていたほどだった。
 それくらい、人間たちは平穏に暮らしていて、口論さえ起きなかったのだ。
 人間たちはアポロンの太陽の馬車が山の端にかかると目覚め、それぞれの土地を耕し、陽が落ちたら眠る生活をしていた。
 裕福ではなかったけど、別に不自由はなかったし、それに誰もが同じような生活だったので、誰かを羨むことさえなかった。皆、自分の人生に満足して日を送っていた。

 神殿にはいつも花が飾られ、果物などの捧げ物が途切れたことはなかったし、掃除も行き届いていた。年月が経って一部が壊れるようなことがあっても、人々は誰から言われるまでもなく集まり、修理してくれた。
 そうした人々の行為が神々のエネルギーとなり、パワーを得た神々の力が地上に行き渡って、平穏さを維持する原動力となっていた。
 とてもよい循環が形作られていたのである。
 だから人々が顔を曇らせるような出来事、たとえば病気とか怪我なんかはほとんどなかったし、もし起きても、一緒に暮らしていた神々がすぐに対処してくれていたものだ。

 あの頃のことは、ただ笑いあい、微笑みあい、毎日が楽しくてしかなかったという記憶だけしか残ってない。
 謂わば、「黄金の時代」だった。
 その頃は、そういう楽しい日々がずっと続いていく、とか考えてなかった。いつか終わりが来るなんて、誰が信じただろう。
 でもそれは間違っていた。

 神々と違って、人の寿命には限りがある。共に語らった人たちも、一緒に笑いあった人たちも、しだいに入れ替わり、私は人間の友人を失い、いつしかそれまでの人々とはまるで違う人たちばかりになっていた。
 その変化は神々の力をもってしても止めようがなかった。

 新しく来た人間たちは神々を敬う気持ちが以前の人々ほどではなかった。
 神殿から花が消え、祈りを捧げる人の姿もめったに見なくなり、建物が少しくらい壊れても放っておかれた。
 神々の力は弱まった。
 畑の耕し方は大雑把になり、理由をつけては休みたがった。夜も遅くまでワインを飲みながら大声で騒ぐことが多くなった。
 鉱石を掘り出す技や金属を精錬する技術が発達し、馬を扱う術にも習熟したため、効率よく耕せるようになったし、お金も作られて、人々の生活はより便利に、より豊かになったはずなのに、資源の取り分やお金の配分をめぐって口論が絶えなくなり、貧富の差は開く一方になった。
 以前の「黄金の時代」に比べて「銀の時代」と呼ぶべき時代だった。

 皮肉なことに、アストライアの天秤がもっとも活躍したのがこの時代だった。
 そんな地上のありさまに見切りをつけ、天上の世界に還る神々も現れ始めた。そしてそれは次第に増えていった。
 しかしアストライアは街なかからこの丘の上の小さな住まいに引きこもりはしたものの、誘いも断って地上に残り続けた。
 人間のできは確かに以前より劣っているけど、それでも天秤の裁きは素直に受け入れていたし、彼女が説く正義の話にも、一応は人々も耳を傾けていたからだ。
 アストライアは、自分が頑張れば、人間をもとのように教化でき、またあの日のように楽しく笑って暮らせる日がやってくるかもしれない、との思いで世界中を走り回った。そして仲裁し、説得し、正しい道を説き続けた。
 しかし事態はその後も悪くなる一方だった。

 今ではもう私の言葉に耳を貸す者は誰もおらず、天秤の裁きを求める人間もいない。
 無理もない。
 天秤では裁けないことが多くなってきたからだ。
 たとえば、盗むのは悪いこと、と昔なら言えた。いえ、今でも言える。
 でも、盗まないと餓死する。悪いとは知りながらやむえをず盗んだ、という人を、悪いと決めつけることができるだろうか。まして、それが腹をすかせた子供のためにやったことだとしたら。
 悪と断定して牢屋に入れてしまえれば話は簡単だけど、その結果、子供は飢えて死に至るかもしれない。つまり天秤が、神々のひとりである私が、罪もない子供を死に追いやることになるのだ。
 かといって、もちろん不問にすることもできない。
 もはや天秤の神力くらいではどうすることもできない時代になっているのだ。――「銅の時代」である。
 そんな地上の世界に無力感を抱いた神々は次々と天上の世界に帰り、もはや私をのぞいてひとりも残っていない。
「神は死んだ」のだ。

 そのせいか、このところ人間の世界はもっとひどいことになっている。
 国と呼ぶ集まりを作り、それぞれ自分たちに都合のいい「正義」を掲げて侵略しあい、戦いあい、そして殺し合っている。
 もはや「銅の時代」も通り越して「鉄の時代」に入っていると断じられるかもしれない。
 こんな世界にひとり残って、私はなにをしようとしているのだろう。
 また昔のように人間たちと一緒に楽しい毎日を過ごしたいのだけど、どうすればそうなるのか、もうその方法さえ分からない。
 というより、私にできることがまだ何か残っているのだろうか。それも、他の神々の助けもない状態で。
 いえ、これ以上私にやれることはもうない。
 私も帰りましょう。
 花々が咲き乱れ、温かい陽光が降り注ぎ、気持ちいいそよ風がいつもふいている天上の世界へ。
 人間たちの祈りのパワーが途切れて、活力がなくなった神々の世界へ。
 そう、この結論は、もうずっと前から出ていたのだ。

 アストライアは長年住み慣れた小さな住まいの外に出た。
 目にはいるのはどこまでもなだらかに続く丘陵である。陽が傾いて、影が長くなっている。
 人の姿はなく、景色だけは黄金の時代となにひとつ変わっていない。
 空は青く澄み、真っ白い雲が二つ三つ浮かんでいた。

 アストライアはその空を見上げ、背中の翼を広げた。長い間ずっと使おうとしなかった大きな翼を。
 そして羽ばたいた。
 ふっ、と体が浮く。ずいぶん長いこと忘れていた感触だ。
 二回三回と羽ばたきを重ねるにつれ、遠くまで広がって行く視界。

 実らせるため、秋の穏やかな陽を最後まで力いっぱいに受け止めようとしている植物たち。ここからは見えないが、遠くの畑では人間たちが刈り入れに汗を流していることだろう。
 そして、もっと遠くでは、こんなうららかな陽気にもかかわらず、人間たちが剣を手に戦っていることだろう。もはや私には理解できない彼らの「正義」のために。
 さようなら、私の愛した美しい世界。
 さようなら、私の愛した人間たち。

 アストライアは、後ろ髪を引かれる思いで、少しずつ小さくなっていく地上の世界を目に焼き付けようとでもするかのように、ゆっくり昇って行った。
 やがて天空の世界に達したとき、アストライアは自分が天秤を持ったままであることに気づいて、思わず苦笑をもらした。
 こんなものを持ち出していたなんて。持ってきてももう役に立つことはないのに。私ったらどうするつもりだったのかしら。
 このまま天上の世界に持って行っていく? いえ、もともと人間のために作られたもの。あそこではもっと役に立たない。

 しばらくの間、手にしていた天秤を見ながら逡巡していたアストライアだったが、ほどなく、意を決したように、そっと手放した。
 彼女の手を離れた天秤は、天空の世界をいずこともなく漂っていき、やがて天秤座となった。

 一説によると、この後アストライアは、それでも人間たちの行く末を見守りたいと空にとどまり、乙女座になったともいう。


ここから先は

0字

¥ 100

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?