「クロコダイルの午睡」の一文
深夜にこんばんは、「よるとま」です。
さて今回は前回の投稿の最後に記載していた素敵な一文の紹介です。
タイトルにあるのは島本理生さんの「大きな熊が来る前に、おやすみ。」(新潮文庫, 2007)の中にある小説です。
とても共感できる一節を見つけたので紹介したいと思います。
「悪意のない誰かがそばにいてくれることが、とても嬉しかったのだ。」
とてもシンプルな言葉ですが、私にはしっくりきました。
家族や友達、好きな人が側にいてくれると嬉しいのは言うまでもありません。しかしその人たちと一緒にいても落ち着かなかったり、マイナスな感情を抱くときも時々あるのです。反対に、初対面の人やあまりかかわりのない人といると安心したりポジティブな感情を抱くときがあるのでなぜなのだと長年不思議に思っていました。
そしてこの一文を見たときハッとしました。私が一緒にいてポジティブな感情を抱くのは親しい人ではなく、「悪意のない誰か」なのだと気づきました。
親しくてもそこに悪意があるとなにか本能的に避けてしまうのです。中学時代、人間関係に悩まされ窮屈な生活をおくっていたら、他人の表情や態度そこから読み取れるマイナスな感情に極度に敏感になってしまいました。なので悪意のない、フラットで落ち着いているマインドの持ち主に惹かれます。
少し話がそれてしまいましたが、この一文には救われたといっても過言ではありません。今後人と関わるときの判断基準の一つになるので私にとって新たな発見となりとても嬉しかったです。
高校生までは図書委員や図書部長を務めるなど、本大好き人間だったわけですが、高校生になりスマホを持つようになると文章より映像が好きになったために本を読む機会が少なくなっていました。
ここ半年で読書の時間を作って文章に向き合うと改めて本の面白さに気づきました。
インターネットの世界から離れて活字を読んでいると新しい出会いや学びがあり、日常が彩られます。
今年の夏も旅行や遠出はできそうにありません。私たちの楽しい大学生活は夢のまた夢になってしまいましたが、家で本と向き合ってみるのも悪くないなと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございます。また近いうちにお会いしましょう。
皆様の毎日にちいさな幸せが訪れますように。
P.S. 最近は勉強に時間を使っています。TOEICやイタリア語検定、SPI対策など山ほどあるのでこの夏休みの長い時間を有効活用したいです。映像を撮ったり、水彩画のセットを買ってみたりと創作の時間も作ろうと思っています。自分のしたことに狙いを定めて過ごしたいです。