生きる川(課題)
愛犬の豆柴と散歩をするときにいつも歩く川沿いの道。その川には、日々うつろいゆく自然の趣がある。
ある日の朝は、しんと静謐な様子であった。またある日の夕暮れは、空の橙色を映す水面が、柔らかい表情でゆるやかに流れていた。その川にはごつごつとした大きな石、岩場のようになっているところがいくつかあり、そこには鳥たちが佇んでいる。
川の流れに逆らってすいすいと泳いでゆく鴨の群れ。大人の鴨よりもまだひとまわり小さい子鴨も上手に水の中へ顔を入れ、小魚を食べている。下流の方へもう少し歩いてみると、真っ白な鷺が悠々と歩いていた。鴨よりふたまわりほど大きい身体は線が細く、真っ白な羽の光沢がどこか儚い。愛犬の豆柴は興味なさげに草の匂いを嗅いでいる。
鷺は物音を立てると飛び立ってしまうので、そっと立ち止まって優雅な足取りをしばらく眺めた。その川にいる生きものたちはいつも、ゆっくりとした時の中を生きているように見える。
しかし、エメラルド色の羽が美しいカワセミだけは、いつもセカセカとしている。草や岩場の上を自由自在に飛び回り、1分も経たないうちに視界から消えてしまうのだ。
鳥たちが羽を休める春の川辺には、黄色い菜の花が咲いていた。緑と黄色、そして鳥たち。印象派の絵画のような色彩。最近は春らしい気温というものが肌では感じられないが、その光景をみると「春がきたのだな」と実感できた。川ですごす鳥たちにも、季節を感じる瞬間はあるのだろうか。冬の川では、あまり彼らを見かけない。自らの体に頭を埋めて眠る鴨はコートを着込む人間さながら、凍えているように見えた。
春夏秋冬、さまざまな景色を楽しませてくれるその川は、天気によって雰囲気ががらりと変わる。曇った日には灰色の空と同じ静かな表情をして、ただそこを流れてゆく。風が強い日には川辺に生い茂る草たちが揺れ、葉擦れの音がさわさわと響く。雨が降れば、雨粒の波紋が川面に現れ、雨音のリズムを視覚で捉えることができる。雨空の下にある川は黒く、いつもより深く見えた。大雨の日には淀み、いつも穏やかな川とは違う威圧感のようなものを漂わせる。
そして晴れの日には太陽の光をやさしく受け止め、きらきらと煌めいてみせるのだ。その光は柔らかく揺れて、光の粒のひとつひとつは線香花火の火種のように丸い。
その川を日々眺めていると、自然には感情があるのではないかという想像が膨らんだ。あの川は、もしかすると、生きているのかもしれない。
こちらは大学の授業で「観察」をテーマに書いた文章を、note用に修正したものです。及第点はいただけたもののなかなか悔しい評価でしたが、私にとってのパワースポットについて書くことができて楽しかったです。四季折々の川について思い返すなかで、新たな発見もありました。
授業内では「客観的に」という点が強調されていたにもかかわらず、解釈(感情)がメインの主観的な文章になってしまったので、授業で扱われた漱石のごとくとはいかないまでも事物をもっと客観的に表現できていたらもう少し良い評価がいただけたのかな、というのが反省点。
他の科目では「レポートだからなるべく論理的に、客観的に書かなければ!」と肩肘を張りすぎて「文章が論理的すぎる。もう少し物語性を持たせた方がいい」というような評価をいただいてしまった私、ゼロヒャク思考すぎる。求められた文章を書くって難しい。
自分が書いた文章はなんでも、読み返すたび「なんて稚拙なんだ」と全身を掻きむしりたくなるわけですが(書いている最中はそれが最善だと思えているのに)、近所にあるなんでもない川の魅力がちょっとでも伝われば嬉しいです。
これからは課題で提出した文章もちょこちょこ投稿していこうと思っています。
2023/06/28