死を意識すること、出会いと別れと無駄と
あんまりオチはないけれど、最近考えていることを。
生きるのって、暖かくて無駄かもしれないけれど、とても楽しいよね。
最近?子猫をもらった。
我が家には3匹の猫がいて賑やかになった。
猫は暖かくて可愛い。
なんでできないのにやるのか?向いてないのに始めるのか、無駄なことをするのか、別れるのに出会うのか、死ぬのに生きるのか。枯れるのにガーデニングしたり、割れるけどお気に入りのカップを手入れしてみたり、辛いなら始めなきゃ良いのではないか。
いわゆる反出生主義に近い考え方が目につくようになった気がする。
正しさとはなんだろうね。汚れるのが怖いから新品の服を泥水に叩き込むのは勿体無いと思ってしまう。
生きていたら色々ある、効率的でも全然なく、意味のないこともする、傷もつく
猫を飼っているとその最たるものである気がしてくるのだ
生きても長くて20年、短いと10年未満。
何度出会っても生きているうちに見送ることになる命。
その度に、自分はダメージを受け、とても苦しみポッカリと心に猫型の穴を開けることになる。
近しい存在と暮らせば暮らすほど、いつかその時の衝撃はきっと大きい。
ある日突然自分が消えてなくなってないかな?とは学生時代から思ったりはするが、送る側からすると突然なんてたまったものではない(笑)
冷静に考えると、辛いのが決定してるなら、やめておけばいいのだ。
で、自分は猫を亡くしたらインターバルを空けず次の猫を迎えると基本的には決めている。
自分の部屋に何もいないことが耐えられなかったから、いつかの別れへ向けて出会いを繰り返すことになる。
今回の子猫は、最近突発的に発作を起こした。原因は特に不明で様子を見ていくがちょっと病弱なのかもしれない。それはそれとして見守りながら一緒に暮らしていくんだろう。
こねっこが発作を起こしてから、すべての生き物は死ぬものだけど、帰宅したら亡くなっていたらどうしようか、と言う思いが2%くらい多く頭を占めるようになった。
前からあるんだけれど、気にしてしまう見えるようになったとも言えるかもしれない。
自分も含めて全ての生き物は今日を越えないかもしれない。低確率ながら事故に遭うかもしれないし、病死するとか、病気で思考できなくなるとか、そんなリスクもあるガチャを常日頃から回し続けていると言えると思う。
いつか死ぬんだし、は若い頃は原動力でもあった気がする。
無茶をする言い訳にもなったし、壁にぶち当たるまでやってみようという心意気でもあった。
今は少し現実的に、死は平等に勝手に訪れるのだから、その時までやりたいこと、叶えたいことを粛々とやっていこうと思っていられるようになっている。
10代の頃の激情は良くも悪くももうないのかもしれない、これを人は丸くなったとか角が取れたとか言っていたんだろうか。
昔に大人の言っていた気に入らなかったことがいくつも腑に落ちるようになってきていて、無限にも思っていた時間は有限であることを否応がなしに理解させられている。
結婚もそれに似ていて、まあ結構な比率離婚してる。
他人と暮らしてみると、やはり潤いがあると思うし、なんにせよ一緒に食べればご飯が美味しい。自分だけで完結する生活は刺激が足りない。
死が二つに分つまで、は祈りのような願いで、周りにも向けた美しい誓いなんだなぁと愛しくも思うようになった。
自分たちは結婚式はしていないのだけど、どこかで1度小規模に神様に誓うのもいいかもしれないな、と考えている。
出産・子育てもそうだ。
あれも博打でガチャだなぁって見ていると思う。けど、会社での出世とか、自分のスペシャリティとか、組織での立ち位置やスキル全般を見ていると、そろそろこの辺までかもな。という枠のようなものが見えてくる。
欲しいものも、そんなになくなってきた。
まあ昔と比べれば、明らかに減った。と感じる。
と思った時だからこそ、時代の命の繋ぎ時なのかもしれないと、最近は思う。
やりたいことも、託したい思いのようなものも、多分自分の子供の方がフルに世界を楽しめるんだろうなー。と子供の感性全般に対して思うようになった。
大人になると、つまらないことが増える、と言うのはそうかもと思う。
新しいことと単純に出会えなくなったり、才能に限界を感じてきたりするから、白紙に色を塗る喜びは無くなってくる。
世の中の、そんなこと意味あんのか?と言うものは生きる上での大体の満たされを満足させるためのものなんだな。とレールのようなものにも意味を感じるようになってきた。
あと10年もすれば親を送り始める知人も増えてくるのかもしれない
猫も周りも若いまま永遠に生きていたら寂しくないのにね?
秋を感じるからか、終わりの気配を感じる
生きているうちにたくさん楽しいことをして、美しいものを見よう。
美味しいものを食べて季節の風に吹かれよう。
種を蒔き、花を待とう。
そうでしかきっと命は生きられない。
無駄なこと、したっていいじゃない。
その塗れなかった余白をしたくて人生をやってるのだから。
開き直って、あと何度かの猫との出会いを楽しみにしたいと思う。
でも元気に長生きしてね猫又になってもいいからね。