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「自分に合う生き方をしてみませんか?」ー人生相談ー

今回書かせていただく記事は、
私自身のことを元に、
「自分に合う生き方をしてみよう」と、
主張するお話です。
(文字数:3500文字/形式:日記/推奨:時間がある時)

いきなりですが、私にも、
学生の時期がありました。
学生として生きている以上、
『学生から社会人として変わる時期』が、
来ますよね。
私自身も、去年のこの時期までは、
学生として生きていました。
そして、学生を卒業した日から、今現在も、
社会に適する思考をするように
変わりつつあります。

例えば、単語としてみたとき、
「仕事・残業・定時・解雇・リストラ・パワハラ・非正規雇用・正規雇用・社会保険・雇用保険・健康保険・家賃・収入・仕事・一人暮らし・実家暮らし・趣味・将来・夢・希望・交通費・通勤・電車・車・徒歩・辛い・辞めたい・やりがい・楽しい...」など、
これまで、経験していなかった出来事に
立ち会っていきます。
大袈裟に書くと、
『未知の領域への第一歩を踏み出した』訳です。

その一歩を踏み出して、
正直に思うことをここで書きます。
「不安です。」
『将来の事』を考えたり、
『人生や幸せとはなんだろう』って考えたり、
『仕事に対して、どんな気持ちで向き合えばいいのか』、時々、分からなくなります。
「俺、このままでもいいのかな。
 ここでよかったのかな。」
という思考が、頭の中に駆け回っています。
仕事を辞めても、
お金が尽きることを考える度に、
「いつか食べ物すら買えなくなって、
 死んでしまうのかな。」
とも、考えています。

わたくしごとですが、
今の生活(こうして生きていること)を
送れている状況は、
『親が支えてくれているおかげ』なんです。
勿論、親以外の沢山の人にも支えられています。
ただし、親の存在が一番大きいと言いたくて、
『親のおかげ』と書かせて頂きました。

話がそれましたが、
親の存在を改めて感じることで、
「あぁ、人は一人では、
 生きていけないんだな。」
という思いが、段々と身にしみてきました。

最近は、接客という業界で
雇用形態にかかわらず、
5社程受けてきました。
結果、「4社は不採用と、1社は週20時間以内勤務」でした。
このままでは、まともに
生活できる余裕が見当たらず、
貯金も既に底を尽きたので、
お金の出費が止まっている状況です。
「辛いですし、焦っています。
 そして、落ち込んでいます。」
(情けない話ですが、親や地域の方、同級生、ハローワークに「仕事、探しています。」と本音を話し、「人手不足だから来て欲しい。」と働き手を探している知人が居る話を聞いて、「ぜひ、働かせてください。お願いします。」と頼んでいる状況です。)

だから、こう思うんです。
「生きている人は、立派な人たち。」だと。
毎日の生活を、どうにかこうにか、
やりくりして生きている。
「今もこうして”生きている”ということは、
 誰かが”自分を生かし続けている”んだ。
 その誰かは、
 自分かもしれないし、他人かもしれない。
 どちらにせよ、今日を生きている人は皆、
 満点の花丸です。
 そして、生き続けた人には、
 永遠の花丸を贈ります。」

ーーーーー思うことを書き残しますーーーーー

学生を卒業し、
社会人として「生活を見直した」結果、
「今日を生きるだけでも、
 こんなにも大変なんだ。」
ということに、気づきました(遅いですよね)。

自分で言うのもなんですが、
若くても社会経験が乏しいので、
働くことへの恐怖感と将来への不安に加え、
不採用通知が、届く日々を送っています。
もう、心が折れに折れ過ぎて、
「不採用」の文字を見ても、
「あぁ、またか。次こそは、
 自分を見つめ直して、挑戦しよう。」
と、『落ちても立ち直る姿勢』が
身についてきた気がします。
さらに、就職活動をしながらも、
これまでしたいと思っていて、
やってこなかった事にも、挑戦しています。

大したことでもないですが、
農作物(ネギ)を育ててみたり、
短編小説をnoteに書いてみたり、
ボカロソフトを買って作曲してみたりと、
色んな事に挑戦しています。
時間がある今、
「死ぬ前にやってみたかったリスト」の項目を
増やし、一つ一つレ点をつけている感じです。
『病で倒れ、寿命を言われても、
 「やりたかったことに、
  挑戦した時期はあったんだぞ!」
 と、安心して旅立つためです。』

ーーーーー「人生について」ーーーーー

「この文章を読んでいるあなたが、
 あなたの人生を生きているように、
 私にも、私の人生があります。」
そうです。
あなたにも、あなたの人生があるんです。

「人生は、”これ”だ」といった
「”はっきりとした答え”」が、
中々見つかりません。
はっきりとした答えは中々見つけられませんが、
「こうではないか?」という
曖昧な答えは、沢山あります。

例えば、「人生はマラソンだ!」「人生は道だ!」「人生は人として生きるだ!」「人生は荒波を渡る船旅だ!」「人生は冒険だ!」「人生は挑戦だ!」「人生は物語だ!」「人生は演劇だ!」「人生は一度きり!」等など、「人生は○○だ!」という形式を沢山目にしたり、聞いたり、考えたりしてきました。

私は、「人生は物語だ!」や「人生は船旅だ!」とも思いますし、「人生は出逢いだ!」とも、
答えていきます。
人によって、どれを答えとするかは、
決めていいと思います。

それに、答えを決めたところで、特別こう、
「一気に人生が、華やかに変わりました。」
ということが、起こるのでしょうか。
もしも、
”答えを決めて華やかな人生になる”のであれば、
「人生の答えを決めてください」と、
強く主張していきます。

しかし、実際は、答えを決めたところで、
一気に人生が好転するようには、
見えませんでした。
どちらかと言うと、転んでも、
「そんなこともある人生だ」と、
納得できるようになったことでしょうか。

私の場合は、
「人生は出逢いだ!」という形式が強いため、
「嫌なことでも、好きなことでも、
 転んでも、起きても、
 人生は、そういう出来事に
 出逢うものなんだ。」
と、納得している状況です。

ーーーーー「自分の能力」についてーーーーー

自分は自分、他人は他人、
将来は将来、現在は現在、過去は過去。

自分がどんなに他人のことを思っても、
他人が受け入れてくれるとは限らない。
自分がどんなに将来のことを描いても、
将来が完璧に約束されるとは限らない。
自分がどんなに過去のことを思い返しても、
過去をもう一度体験できるとは限らない。

ですが、過程の中で、一つ大事な点がある。

自分だからこそ、
他人のことを思うことができる。
自分だからこそ、
将来のことを描くことができる。
自分だからこそ、
過去のことを思い返すことができる。

そう。
「自分に、出来ること」が隠されているんです。
他人や将来、過去という相手が、
「どうするのか」という判断は、
「相手が決めること」である。
そのため、自分の要望が通ることかどうかは、
判断しづらい。
そんな中で、
「どこに注目したらよいのか」と迷う時は、
「自分に出来ること」を見つけると、
自信を保つことが出来るのではないでしょうか。

くどいようですが、
私の場合、不採用続きでへこたれている中、
自分の能力(今の自分は、これぐらいのことならできること)を、
一つ一つ、意識しながら、数えています。
とは言っても、
「当たり前だろ」という人もいれば、
「自分にはできない」という人もいることです。

例えば、「車が運転できること。→交通の選択肢が増える。送迎ができる。車を運転する人の気持ちに共感する。」「お酒が飲めること。→人付き合いで必要な場面がある。お酒に詳しくなる。耐えられる度数がわかる。お酒飲む人の気持ちがわかる。」「お金のやりとりができる。→買い物でお金の支払いができる。」「本が読める。→自分の知らなかった知識を学べる。文字を通して、他の人の考えを知れる。」「テレビの内容が分かる。→ニュース番組から、現代の流れを知れる。」等など。

要するに、「自分に”出来る”こと」は、
「誰にでも”何かしらの能力がある”こと」です。
もう既に、私もあなたも持っている能力です。
(あなたの場合は、
 この文章が理解できる能力を持っていて、
 私の場合は、
 この文章を書ける能力を持っている。)
だからこそ、
「人は何かしらの能力を持っている」
と、私は思うんです。

ーーーーー締めくくりーーーーー

長々となりましたが、
「自分に合う生活、
 自分にあった出来事、
 自分の持っている能力、
 自分から飛び込む挑戦」
と共に、これからも生きていこうと思います。

ここまで、読んでいただき、
誠にありがとうございました。
お疲れ様です。
コメントは、どなたでも、
自由に書いてもいいですよ。
「これからも、生きていきましょう!!」
またね!

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ゆう
当たり前のように思える毎日に、"同じ日がないこと"を知った。きっと、あなたのその行動にも、"同じ行動はない"でしょう。"かけがえのない毎日"と"あなたのその何気ない行動"は、たった一度の出来事なのよね。ありがとう。