死にゆくひとに、出来る限りのことが出来たか
少し前に、伴侶を亡くしたひとと知り合った。
長年連れ添った相手を病気で亡くしたというひと。
病気を治せたらとありったけのお金を注ぎ込んで、欲しいものは全て与えて、やがて来る別れに向けての話もおそらく幾らかはできていたようだった。
同じ、伴侶を亡くしたひとなのに、なぜかとても羨ましく思った。
わたしは自分を可哀想と思うのが得意なのだ、きっと。
別れの準備も出来ずに夫が突然居なくなってしまったことを、いつまでも忘れられずにいる。
きちんとお別れを言えたのなら、またわたしの人生は違っていたのかもしれないと思うときがある。
結局、伴侶を亡くしたそのひととは連絡を取らなくなってしまった。
伴侶を失ってなお、前向きに生きられるひととは相容れない。
わたしも前向きに生きたいと思うこともあるけれど、夫が死んだことを忘れてしまうようで出来ない。
わたしも、その伴侶を亡くしたひとも、相手を大切に思っている・いたはずなのにその先は全く違うものだなと感じて、また今日もしんどくなっている。
今日みたいに思うことはよくあって、その度「神様、優しくお迎えにきてほしい。できることならあの世で夫に会いたい」と思いながら寝られない夜を過ごしている。