そう思う①

普通とは、当たり前の線の上にみんな乗って、そこからよーいどんなような気がしていて。
そんなことないよっていう人たちは、当たり前に線に乗って、上からどろどろの沼に嵌まり込んで息をするのもしんどい私のことを眺めている。
同じ沼にはまっている同士はまた、ほんとうに息が出来るのかって生きてるのかって、自分のもしくはお互いの首を絞めて苦しいなって感じることで生きてることを実感するような気がする。

擦れ違う知らないひとを見るたび、それぞれの普通があって、みんな同じなんてことはないのはよくわかっているのだけど、優劣つけたがる世の流れに流されて、劣等感を抱いたり、はたまた、あれ自分はもしかしたら優れていることだってあるのかなと思ってみたりしている。
そういった類のことに気を取られていることは自尊心の低さから来ているのだけど、時間の無駄だからやめたほうがいいはず。
誰に認められなくとも、自分は自分、と思って残りの人生を生きたい。

うまく喋れない、書けもしない、それでも喋って書いてたらば、ちょっとは良くなるかもしれない。
誰かに何かを伝えたいのか、なんでみんな思ってるのか。
文を書くとは、伝える前提なのか。

常識を安定した地盤とするのは、どうやってみんな、身につけたの。
明日にはさようならってみんな言えるのに、なぜまた明日、と約束できるの。
それが嘘かもしれないのに、どうして安心してるの。

老いていくと、だんだんいろんなことを感じなくなる。
それが怖くて、でもそうして、安定していくのかもしれないな、とも思う。
肉体だけが生きる余力を残して、意識が死んでいくようにはなりたくない。
スイス。

スキ、って言われないだろうって、それでいいから書き続けたい。

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