「マルホランド•ドライブ」備忘録
※ネタバレを含みます
私の怖いものの一つに“深い海、深いプールの底”という項目がある。
美しいとも思える反面、どうしても真っ暗な底に何かが潜んでいそうで、ぞわぞわと恐怖を感じるのである。この映画の不安を煽るカメラワークとドリーミーな映像は、快晴の日、静かな海の沖で小さいボートの上からずっと水面を見させられているように居心地が悪かった。怖いもの見たさと美しいもの見たさを掻き立てられる不思議な経験だった。
会話も行動もどこか不自然で地に足がついていない登場人物たちは、違和感を当たり前のようになじませながら納得と錯覚を交互にたたみかけてくる。
“深い海の底”的恐怖は、ベティとリタが身体を重ねた数時間後、リタがマネキンのように硬直した表情になり「お静かに、楽団はいません」とうわごとみたいに繰り返すところから始まった。
深夜の移動シーンは、夢ならではの幻想空間の移り変わりで見入ったものの、画面いっぱいに強調される青色とネオンの寂寞感が印象的だった。
廃れた道の奥に突然現れるクラブ・シレンシオでは、次々現れるエキセントリックなキャラクターとパフォーマンスに魅了されながらも、金属と金属が擦れる音を聞いた時のような心地わるさも感じていた。ベティがバッグから取り出した青いボックスで、この映画は青が何かのキーカラーなんだな、と確信した。
そして一緒に家に帰ったはずなのに「どこなの?」とリタがベティを探すあのシーン。突然やってきた静寂は、絶対にここにはベティがもう存在しないことを物語っていて、とにかく不気味で怖かった。恐る恐る見ていた水面に突然突き落とされた気分だった。
現実の世界では、前半の夢の中の現実をところどころなぞっているようなシーンが続き、「何かわからないけどわかる……」みたいな、曖昧な達成感がじわじわと湧いてきた。
ダイアンのカミーラへの嫉妬と愛欲と憧れと憎悪は、“腐敗した死体”となって夢に出てくるほど強烈にダイアンの中に渦巻いていたのだろうと考える。
最後に青い髪のマダムが「静粛に」というシーンで、この映画では至る所を彩っている「青色」が死を意味しており、だとしたらあの青色とネオンの幻想空間で覚えたエモーショナルな感覚は、二人で死(クラブ・シレンシオ)へ向かうことへの安堵と寂しさと後悔だと自分は解釈をした。
リタに金髪のウィッグを被せることで心身共に一緒になりたい願望は、行き場のないダイアンの強い独占欲を感じたし、夢見てたのはこんな自分じゃなかった、と突きつけられる現実があまりにも切ない。
夢とは理想や願望を都合良く、きらびやかに映し出してくれる反面、自分の負の感情や心の傷を妙に変形させて突きつけてくるリアルな虚構だ。
『マルホランド・ドライブ』は、その解像度が高すぎる。違和感に満ちたパラレルワールドにこうして人間は魅了され続けるのだなとこの映画を観て改めて感じた。
現に自分には、マネキンリタからクラブ・シレンシオへのシークエンスを二度と見たくないと思うのに、もう一度あの不穏な異世界を味わいたい、と相反する感情が芽生えている。
だから明日からのリバイバル上映では、違和感を大スクリーンで全身に浴びてこようと思う。
眠る時に見る“夢”のいつか必ず覚めてしまう儚さと、自分の思い描く“夢”と現実の対比。
デヴィット・リンチが奇妙かつ幻想的に交差させた切なさに心臓を鷲掴みにされた気分だった。