形のないもの
愛とは何か考える。
「愛とは、その人のために死ねること」
そんなことばを聞いたことがある。
違和感があった。その公式はわたしにとって、自然でないように感じた。
わたしはきっと誰のためにも死ねない。
自分のためにしか、死ぬことができない。
では私は、誰をも愛していないのか?
それはちがう。それは、違う。
母が救急車で運ばれたとき、わたしはすごく冷静だった。冷静であることに努めていた。
待合室でひとり身を縮こまらせている時も、どうにか外界と繋がることで気を紛らわしていた。親友に「母が救急車で運ばれて、今病院にいるから余裕があったら返信するね」とメッセージした。
とにかく不安で脈絡がなかった。
運ばれているときに意識はあったから、この不安をすぐ払拭するように、母は回復すると思っていた。
1時間、2時間と、時が過ぎていく。
何も腹に入れていなかった私は少し目眩を感じていた。持ち歩いているブドウ糖(ラムネ)を口に含んだ。
名前が呼ばれて部屋に入ると、先生は声を震わせながら母の病状を話した。
私は彼女の動揺っぷりに狼狽してしまった。
医師が手も声も振るわせるようなことが、裏で起こっているのかと。
「何か質問はありますか」
話終わった医師は私にそう問うた。
「命を救うことだけ、考えていただければ。最善を尽くしていただければそれだけで…」
「もちろんです」
食い気味に言った。医療現場で働く人の覚悟かと思った。全身が震えていたけれど、目はすごく力強かった、ような気がする。
また待合室に戻され、30分もすると医師が私の元にやって来た。嫌な予感しかしなかった。お願いだやめてくれ、「残念ですが」なんて言わないでくれ、それしか思わなかった。
「この数時間で病状が考えられないほど悪化しています、命を救うためにリスクのある治療法を行うことの許可を、今お父様にいただきました。……何か質問はありますか?」
ああ………… ああ…………、と思った。
「いえ、ありません。治療に専念していただきたいです」
「分かりました、またお呼びいたします」
こんな感じで時間が過ぎた。
わたしはSNSをひたすら巡っていた。Instagramの右上の通知をタップして、また別の友人にメッセージを送った。
近々遊ぶ約束をしていた。でもこんなんじゃ遊べない、というようなことを送ったような気がする。
返答は案外深刻な感じでなく、ほどよい絵文字がついていて私は現実との乖離に少し戸惑ってしまった。けれど、その温かさは地面に雪が染み込んでいくみたいに、私の心にじわじわと届いていた。
メッセージの最後に
「よるもよく食べてよく寝てね!」
と書いてあった。(母の心配もいいけれど、母も体を大事にして欲しいけれど)あなたもよく食べてよく寝なさいね。と言う意味だろうと思った。
その時にわたしは、病院の待合室の大きなソファに一人座りながら、
愛ってこれだ
と、確信した。
「愛は人のために死ねること」
などではなく、
「愛は人によく食べよく寝てほしいと願うこと」
だと思っている。
私はたくさんの人を愛し、そしてたくさんの人に愛されているのだと思う。
「いっぱい寝てほしい」なんて、どんな気持ちで言っているのか分からないけれど、それは愛なんだよなと私は画面のこちら側で勝手にあたたかくなっている。
母は、後に緊急治療室、高度治療室、一般病棟の入院を経て徐々に回復し退院した。
母はよく食べてよく寝て、体を休ませた。
父が仕事から病院に到着したのは、母が運ばれてから5時間が経った頃。
入院手続きなどは全て父に引き継いだが、その背中を見ながらわたしは思わずないてしまった、泣くと思っていなかった。
わたしは強い子だと思っていたから。母が運ばれても、どんなに不安でも、冷静に物事を見極めて判断するような、強かな子だと思っていたから。
溢れ出す涙はマスクの中をぐちょぐちょにして、でもそんなの気にもできないくらい苦しかった。
そんな時だって、「あ、今、わたし「可哀想な子」っぽくない?」と思う自分が存在していることを気持ち悪く思った。
可哀想な子を演じるのは小さい頃から好きだった。この話は、また今度。
母と連絡が取れず無事かも分からずの二日間はひたすら枕に向き合って泣いていたけれど、翌日からなんとなく母の状態が把握できたし、連絡も少しずつ取れたから、不安に思うより生活、と思うことにした。(結局わたしはストレス性の発熱で寝込んでしまい生活に関することは全て父がやってくれた、ありがとうお父さん。)
愛、そしていのちについてよく考えた。
私はあの時初めて、親を失う覚悟を決めたような気がする。一歩、自立に近づいた……とは、今の生活を見て到底言えることではない。
けれど、その経験が大きかったのは確かだ。
失うことを恐れず、離れることを怖がらず、不安に負けず自分を確立すること。
母の存在が脅かされることは、わたしの意味がなくなることであるような気がしていた。
でもそれももうやめた。他人に存在意義を見出されて生きようとするのは、不便なのだ。
今までずっとそうしてきたけれど、その時やっと、「もうひとりでいいかな」と思えるようになった。
今、今は、今も、覚悟をしている。常にひとりになることを覚悟して生きている。
ぬくぬく生活している私がこんなことを言うのは、とんだ贅沢だと思うけれど、常にどこかで覚悟をして生きていこうと、思う気持ちが揺らぐことはない。
私は、何かを失い、手離し手離されるかくごを決めている。
私の愛する彼ら彼女らが、たとえわたしと一緒にいなくとも、「よく食べてよく寝て」くれたら良いなと、心から願っている。