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友達依存症

友達に執着しすぎる。

わたしには、依存癖がある。
「友だちは薬だ」なんて言ってるやつが、こんなことを言うのもおかしいような気がするけど。

そう、友達は薬みたいなものだから、心が風邪をひいたら服用して、健康な時には服用する必要はない。たまには副作用もあって、心が余計に傷ついてしまったりもする。

わたしは、友達依存症なのだと思う。

いらないときはいらない。
でも、必要なときには喉から手が出るほど、その手が、禁断症状で震えてしまうほど、友達に依存してしまっている。

たとえば、仲の良い友達が、私のいないところで楽しそうにしているのをSNSで目にする。
「あなたは私のものでしょ!」なんて言わないけれど、心の中では思っていたりする。そしてそれは事実ではない。
確実に、その子は私のものではないのだ。
私のものではないし、誰のものでもない。
その子は、その子自身のものだから。

でも私の心は、いうことを聞かない。
憎らしくて、苛立たしくて、重くて暗いアメリカンチェリーみたいな(もっと明るいかも。濁ったピンクの口紅みたいな)色の感情が、心の底にずんっとへばり付くのが分かる。
そして、ちょっと楽しかったりする。
そういう感情がないと、わたしは文章が書けないから。
そういう感情を昇華させるために、私は書くという手段をとっているのだから。

とにかく、私は中毒みたいに友達を欲する時がある。そういうとき、私は私がそんなふうになっていることを友達に決して知られたくないので、小説とか詩とかを書き殴って心を落ち着かせる。
私の言葉は、私の魂の削りカスみたいなものだ。
私の内に秘めた、憎悪と執着とのかたまりなんだ。(そうじゃないものもあるけど。)

ここまで私が友達に執着するのには、一つは私が同性を好きになることが挙げられると思う。

いわばそれは好意であって、執着(=好意)の延長線上に恋愛感情があるというもの。

ただの友達なんだけれど、なんとなく恋愛感情に傾きやすい。恋愛対象だと思っていなくても、嫉妬に似たものを感じてしまいやすい。
私のおつむは単純に作られているだろうから、きっとそこの区別をつけるのが難しいのだ。

私がいつかスマホのメモに、
「友達はキスとかセックスとかをしない恋人だ」
と残したのは、ここに理由があるのだと思う。
私にとって、友達と恋人との差はそれしかない。

女の子=恋人−キスとかセックス

そういうことなんだと思う。
え?どういうこと? 私にも分からない。キスとかセックスとかを抜きにした全てのものを、友達に求めてしまっている。そういう残念な私のお話。
もちろん、その−を=にしてくれる子がいても良い。私の立てた方程式を、早く覆してほしい。

友達の一言で、心が熱くなったり、冷めたりする。
もう好きじゃない。執着するのやめる。って、思ったことは何度だってある。
でもやっぱりわたしは単純だから、優しく話しかけられるとすぐに好きを募らせてしまう。

どうにもならない。だから書く。

依存症を克服するのは、口でいうより難しい。

早く私の中からいなくなっておくれ。
執着心か、もしくはあの子か。



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