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進撃の巨人アニメ完結を見届けた

アニメ放送最終回

進撃の巨人のアニメーション最終回が放送されました。
ずっと待ち望んでいて、楽しみにしていて、でも終わってしまうのか、、という複雑な心境でした。
原作漫画は買っていなくてアニメを見てきた視聴者です。大ファンで何年も追いかけてきたというわけではなく見始めたのは1~2年くらい前ですね。

考えたこと

この作品は一言では表せないし、どれだけ語っても語りつくせないものを持っています。さらに現実と過去と未来が絡み合っているので完全に理解しきれたわけでもないのですが、それを敢えて、言葉や文字に整理してちゃんと自分の中にとどめて置ける確かなものにしたいので、最終回をみて考えたことを書こうと思います。特に4つ。

繰り返していく世界のこと。
生きる意味は日常にあるということ。
対話を諦めないで森から出ようとし続けること。
人を動かすのは愛であること。

1.繰り返していく世界のこと

進撃の巨人みた方はわかりますよね。歴史は繰り返していく。
戦争をなくそうとしても差別をなくそうとしても繰り返されてしまう
巨人をなくしても人間同士のいがみ合いは終わらない

それを象徴しているのがエレンが殺され、エルディア人たちは巨人の能力を失った直後にも関わらずマーレ人が「おまえが巨人ではないことを証明しろ」と銃口を向けるシーンに表れているなと思いました。
そのあとにアルミンが対話に入っていくことはそれと同時に対話も繰り返されていくことを感じたシーンでした。(やっぱりアルミン大好き。)

エレンが眠った木からのエンドロールはまさにこの繰り返していく世界を表していますよね。
世界は発展して、壊して、また作り出して、生み出して、また死んでいく。
エレンが2000年かけて始祖ユミルの力を終わらせた後、また始祖ユミルのような新たな少年が、エレンの眠った大樹の近くに映ってアニメが終わります。
また巨人の力が生まれるのか、それとも新しい何かに変わっているのか、それは誰にも分りません。

2.生きる意味は日常にあるということ。

こうも同じ過ちが繰り返されてしまうことや生まれて死ぬことを繰り返していく世界、はたまた宇宙に考えを巡らせると、自分が自分である理由、ここにいる理由が見えなくなります。
人間はたぶん無意味なことって一番堪えられないですよね。
だから生きることが嫌になる。この世界が嫌になる。求めているようには変わってくれない世界や戦争を繰り返す世界を諦めたくなる。

物語でも触れられていたようにジークのこのような生きることへの喪失の言葉を聞いてすごく納得してしまいました。私自身そう思ったことがあったから。

例えばスカイツリーなんかに上るとよく思うことがあります。
蟻のように動く地上世界を神様かなにかの視点から見た気がして、こうやって世界は今日も明日も繰り返していくのなら、人間一人いなくなったところで世界は何も変わらないじゃないか、と。
私が私としてここに生まれて、怒って、苦しんで、泣いて、笑って死んでいくことの無意味さを感じざるを得ないのです。

でもそのあとのアルミンにの言葉に気づかされました。
僕たちは、ここでかけっこをするために生まれてきたんじゃないか、って。

見失っちゃうんですよね。日常にどれだけのものがつまっているか。
人間は理由を求めて遠い先のことばかり考えてしまうから、近くの一番身の回りにあるものにこそ気づけない。けれど一番大切なものは遠くになんてあるはずなくていつもそばにあるんですよね。

私は私の好きな人たちと日向ぼっこができればいい!

その瞬間のために生まれてきたんだ。
私はもう生まれてきた意味は十分にありました。
それに気づけたから、この時感じた瞬間に支えられてこの先を生きていくことができます。
そしてこの先にもまたこのような瞬間が新しく出会う人との間にも訪れるのでしょう。
それならばたぶん
“私たちは生まれてきた意味に向かって走っていくんじゃなくて
意味は後からついてくるのかもしれない”
と思いました。
つまりそれって、生まれた意味は死ぬときに見つかるんだろうな。
見つかるといいな。

3.対話を諦めないで森から出ようとし続けること。

自分との向き合い方は少しだけわかった気がします。でも自分一人の力じゃどうにもならない世界という大きな大きな相手がいますね。
終わらない戦争、殺し合い。
だれも望んでないのに、戦争を恐れる故に起こる戦争がおこる。
みんな自分の大切な人と日向ぼっこしてかけっこして生きるだけでいいのにそれをできなくしている世界は進撃の巨人の物語の中では「森」と表現されています。
森から出る道はわからないけど出ようとし続けること、対話を続けること。エレンの言う「戦え」はこの意味を指すのではないかなと私は解釈しています。エレンは決められた運命に必死で抗った。人類虐殺なんてしたくないから必死で抗って他の道を探そうとした。
見つからなかったけど。それがどうしても悲しいけれど。
見つからないっていうのがまさに美化されていない現実を表していて進撃の巨人という作品の素晴らしさを改めて感じます。
人類虐殺なんてエレン含めだれも望んでいないのに、得体のしれない「世界」がそうさせるのです。

私は現実世界の戦争がすぐになくなってほしいと思っています。
そのための方法がわからなければ理想論だと言われるでしょうか。
諦めてこんなこと掲げるべきではないというのでしょうか。

違いますよね。
理不尽な世界だから戦うんです。それはつまり対話を諦めないことです。
大切な人と日向ぼっこができる世界にならないのだとしても、やっぱりなるように願いたいです。どうしても。

4.人を動かすのは愛であること。

どうして大切な人と日向ぼっこがしたいんだろうか。それは単純明快で幸せだからです。楽しいからです。その時間を、その人を愛しているからです。

世界平和とか大きなことを言っても実際しっくりきません。

ミカサがエレンを想うように
エレンがミカサを想うように
ジークがクサバ―さんを想うように
アニがお父さんを想うように
ガビやファルコが互いや家族を思うように
ライナーがお母さんを想うように
そして始祖ユミルがフリッツ王を想うように。

それぞれがそれぞれの想いで生きていて私も私を生きているから、いつかそれがあなたの愛とぶつかるのかもしれない。

でもぶつかっているのはその方法なだけで根源はみな誰かが誰かを想っているのだということ、忘れないようにしたいし、みんなも忘れないで。

さいごに

好きなシーン、印象的なセリフを書き留めておく!

・エレンが世界の敵になり人類虐殺を実行することができたのはアルミンと ミカサがくれた「道」での記憶があったから。アルミンとミカサの記憶が消されて二人が覚えていなくてもエレンが覚えている。それだけでエレンは一人だけど一人じゃなかった。

・アルミンが言った「一緒に地獄に落ちよう。」涙腺崩壊です。

・アルミンの僕も世界が滅べばいいと思ったことくらいあると言ったこと、印象的でした。善良にみられがちなアルミンすらある人間味。心の中の悪魔。戦争や憎しみが消えないのは「人間」だからなのだろうと思ってしまった。

・エレンがミカサに死ぬ前に一瞬でも微笑んだりしたらミカサはエレンを殺すことを躊躇ってしまうと思うので、その時間も与えずに殺させる状況にエレンが自分で追い込んだことは、
エレンのミカサへの最大限の愛(エレンのことを忘れて幸せに生きてほしい)だし
ミカサのエレンへの最大限の愛(人類が八割殺戮されてもただエレンを救いたかった)でもあった。
お互いの最大の愛がエレンを殺すシーンに重ねられるなんてもう切なすぎます悲しすぎます、、、言葉にできません、、、

・ミカサの「いってらっしゃい」はさようならじゃなくてまたここに戻ってくることが当たり前のように思えているから出てくる言葉なんじゃないかな。

・鳥(エレン?)がミカサのマフラーを巻くシーン、涙腺崩壊です。


これから先また一話から見返したり、大人になって見返したりしたらまた解釈が変わるのかもしれないな~。
でも18の私は今、こんなことを思ったよ。

改めて進撃の巨人制作に関わったすべての皆さんに感謝します。
お疲れさまでした!!!!ありがとうございました!!!!

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