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全てのことに意味がある


昨日の続きです。


僕が新聞配達をしていた

八王子の八日町商店街のエリアは


当時、日本一長いメインロードで


食べ物も衣類も日用品も

みんな揃うとても賑やかなところでした。


重い新聞300部をせっせと配り歩きながら


いかに早く効率よく終わらせて


1秒でも早く帰って

大好きな野球をするかに

全てを賭けていたんだけど


ドチビで痩せっぽっちだった僕には

あまりに長い道のりは

過酷なルーティーンであり

仕事場であり義務であり

多少の熱があっても決して

休むことができない日々でした。

貧しくてあまりにも忙しい母は

食事の準備もままならず


僕は特に、給食のない午前授業の土曜日に

一番お腹をすかせていました。


朝も夕方も、全力疾走で

新聞配達をしながら、


足がもつれて倒れそうになったり


意識が遠のいて

配達ミスをしてしまうこともありました。

そんな中、お腹が空いて

どうにもならなくなった時は


いつも配達している

ラーメン屋に思わず入っていって座り


美味しそうにラーメンをすする

お客さん達を横目で見ながら


優しい女将さんがいつも気づいて


「お腹空いているんだろ、ラーメン食べていくかい?」


と言ってくれるのを今か今かと待っていて、


ちゃっかりチャーシューメンをご馳走になったり

パン屋で懇願し、耳をもらって、

それをかじりながら配達をしたり、と

世間的には、なかなかの

図々しさとたくましさでしたが


当時の僕は飢餓状態、


頼れる身内も居場所もなく

本当に切羽詰まっていたので

そうやって誰かに頼るしかなかったのです。


当時は、クラスに数人、

僕みたいな貧乏な子供はいたと思うけど


借金返済のために、

子供に新聞配達をさせるほどの家庭を
他に知りませんでした。

けれど、そんな僕を、商店街の人たちは

みんな不憫で健気に思ってくれていたのでしょう。


配達をする度に、自転車を止めて

物欲しそうに毎日ショーケースを眺めていると

スポーツ用品店では、新品のadidasの帽子を

靴屋の親父さんには、流行りの軽量シューズを


おもちゃ屋さんのマスターには、

当時入手困難だったガンダムのプレモデルを

なんだかんだと贔屓してもらって


ちゃっかりいただいてしまうという

そんな要領の良さは

大人になった今でも発揮されているのですが

当時体得した特技だと思っています。


それにしても、あの頃は

商店街に並ぶお店の皆さんそれぞれが

とても素敵な人格者で

ご自身の仕事にも誇りを持っていたし、

みんなが助け合って支え合っていきていた

ホントにイイ時代だったと思う。

ねぇ奥さん、昭和ってさ

ホントにイイ時代だったよね?

ケータイもパソコンも無かったけど

人と人との心が今の何倍も繋がってたよね。


モノが溢れ出し、便利になればなる程に

反比例し、人の繋がりがなくなった気がする。

古き良き時代の昭和

戻れるモノなら戻りたいと思うのは僕だけか(笑)

僕の配達担当は第6区と言われる

商店街エリア

あのエリアの配達を担当していなかったら

僕は飢餓で死んでいたかもしれないし(笑)

住宅街じゃ誰の目にも止めてもらえず

もっともっと孤独で

辛い思いをしていたんじゃないかな


あの当時は
みんなが温かく、朝に夕にと

新聞と僕が来るのを

楽しみに待っていてくださり

食べ物や身に付けるものも

空腹やボロに困るたびに

ご好意で与えてもらっていました。

皆さんに衣食住を支えてもらって

今の僕があるんです。


今でも本当に本当に感謝しています。


そして、およそ20年後、

夢だった社長になって

買い付けがてら中国の貧困地域に赴いた時


物乞いの子供達があまりにたくさんいるのに驚きました。

僕が体験していた以上に


痩せこけてモノもなく、

とんでもなく貧乏なことは見れば明らかでした。

しかし、その中でも、

ただ座って泣いて、

暗い顔をして物乞いをしている子供達の中で

一人だけ、ニコニコと僕たちを呼びつけ、

腕立て伏せをしている少年がいました。


若干10歳に満たないそのガリガリに痩せた体には

ひたすら腕立てや

パフォーマンスをし続けたことで身についた

ありえない筋肉と、素敵な笑顔がありました。

僕はその物乞いの彼に見惚れて

ついチップをあげてしまったんだけど

隣で同行していた師匠が一言


「こういう子供が、本物の成功者になっていくんだよ」


と、感心して仰っていたのを鮮明に覚えています。


貧乏なこと、障がいがあること、

何か他よりも足りなかったり

劣って見えたりすること。。。


生まれ持ったものや才能は

人それぞれ違い、

環境も境遇も苦厄も


自分ではどうにもできないことが

人生にはあるものです。


けれど、そういう一見

「ネガティブ」のせいで、不幸なのではないんです。

幸せやチャンスは少なからず

不幸の顔をしてやってくるものです。


貧乏なら豊かさを

痛みや苦痛からは、和らぎや癒しを

闇からは光を


死からは、命や誕生の喜びを

もしかしたら

人並み以上に、僕らがそれぞれ各々


「得難い」と感じていることは


自分の人生に最も大切にしたいことであり

その価値を誰よりも
知りたいと思っているんじゃないかと思う。

その本当のありがたみを思い知るために

あえて波乱万丈なドラマを演出して


感動や達成感、充足を知るように

仕向けているような気がしてならないよ。


お釈迦様が、教育に必要なものは

たった2つだと仰ったそうです。


それは、貧乏と、読書。


子供の頃の僕は

あまり勉強が好きじゃなかったから


本は読まなかったけど、

ご飯もままならない貧乏を体験できたことは、

生涯で最高の財産だったと

今では心から思っています。

来世はもっともっと貧乏で

虐待ももっとひどく生まれてもいいって

真剣に思っているくらいです。


当時は死ぬ程辛かった

けれど今ではそれら全部が感謝の対象になりました。


すべての経験体験が

今の自分を作り出したんだ。

どの体験一つ欠けても今の自分は存在しない


全てのことに意味がある。

今後も必ず、お世話になった方への感謝を忘れず

恩返ししていきたいと強く思っています。


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