共感すると軽くなる 自己肯定のその先の境地
家の中にいると、ネガティブな思考がでてきて、ネガティブになるので、
久しぶりに外で、朝ごはんを食べています。
「もうあじさい終わりなんだなぁ。寂しいなぁ」
と思っていたら
パニック障害で家にこもっていた時、どん底だと感じる中で、
この場所で、この風景で、このポストのあじさいを毎年見ながら
「きれいだなぁ」「この感じステキだなぁ」
「剪定したんだなぁ」
「鳥きた、今私のこと気づいてなかったでしょ!?びっくりしててかわいいなぁ♡」
なんて、四季の移り変わりに湧き出る感情、想いを
どんなに辛いと泣く日があっても、楽しんでいたなぁ
それだけで十分だった、心が切り替わったり、安心したりする瞬間って
そんなシンプルなことだった
と思い出しました❁
日曜日は静かで好き、車が全然通らない、
だから日曜日は家にいたいって
4年前くらいは思っていた時もあった
と、外出できるようになってから、
すっかり忘れていた日曜日の静けさ、癒しのエネルギー。
体や心が、限界だ!って感じるのは、季節の変わり目だからかもしれませんが
限界がきてよかったな、とも思います。
無意識のうちにため込んでいたものが、意識できる、
そして、浄化して消えていく。
無意識が意識に変わると「これは終わり、もうおしまいの感情だね」
と思います。
昨日は、お友達とおでかけしたら、
「読めない人がこわい」
「え?何?どういう意味?そういう感情!?」
「個性派揃いだなぁ。。」
と、人に対して怖いとか、ものすごいジャッジする(下に見たり、上に見たりする感情が)
自分からでてきて、困惑しました。
最低な人間だ!と自分のことを思ったりもして
今はちょっと何か言われただけで、
否定的にとらえすぎてしまったり、
ちょっと優しくされただけでうれしかったり
(とか、書いてる今もなぜか泣けてくる)
しているので、
外出先のトイレにこもった瞬間に、
人をジャッジしまくってる、失礼な自分とか
この人こわい、嫌だとか感じた自分とかに対して
泣けて泣けて、トイレットペーパーで顔を拭いて
個室の外にでて、洗面台の鏡みたら、
目の周りに、サングラス並みトイレットペーパーついてた笑
ものすごい嫌な自分が出てきたときは、解放のサイン。
終わりだよの合図。
その人を下に見たり、上に見たりする感覚が一番強かったのが、中学の時だった、この感覚、あの頃すごく感じてた
と、大人になるにつれ、
個性ってある、みんなそれぞれそれでいいよね
って思えてたのに、自分の中にあったジャッジのエネルギーが
ブワっとでて抜けていきました。
友達たちは気づいてないけども、自分が口から出る言葉が、
人を差別するような言葉がちらほらでてきて
また言っちゃった!なんて思いながら、自分を観察していました。
(そんなことを思ってはいけないわけではなく、思うことってあるよね、人間だものと許すとジャッジする自分が弱まっていったりします)
もう誰も信用できないなんて思っていたころは、自分で癒し、自分で自分を肯定して、
あぁ全部よかったんだ、とか、なんともないか
なんてフラット戻したり
戻れないときは、そのまんま過ごしていました。
でも生きていくと、人に頼らないと自分の気持ちが解放できないことも多々でてきて、
メンタル面においても
人に頼ることを意識しました。
人の時間を自分に使ってもらうなんて、
迷惑かけるとか、
そういう思いがあったので怖かったのですが
友達に連絡をしたら
時間を見つけてきてくれ
話したら、安心感と軽くなる感覚で
当時の私はびっくりしました。
今回、旅行中の友達が辛かったら連絡してきていいよと言ってくれ、辛さが軽くなり
仕事が休みの別の友達に連絡をして
二人の友達に、
今こんなことで辛いというを話して
「そうだよね~それは辛いよね~。そういう時、あるよね~」
なんて言ってもらえただけで、
辛さが軽くなって、
その軽くなったエネルギーのあと
相方からのLINEで
「奈央ちゃんは傷ついたんだよね」
という文字を見ただけ
軽くなって。
一人で抱えないで、話を聞いてもらって
共感してもらえたことだけで軽くなっていくものですね。
一人で抱えた時も、
相手を傷つけてしまったのではないかとか
自分が悪い、自分がこうすればとか
いやいや、私は傷ついた
とか
「うん、うん、そうだよね」と全肯定していたのですが
気が落ち着かない。
そして、昨日の夜は、BTSに久しぶりに
ど集中して、かっこいい!はぁぁぁぁ~ん!と
なって
その夜は、こんな言葉がでてきました。
「自分のことを肯定することは、相手のことを否定することになるから、自分のことを肯定も否定もしない」
おぉ~~~となりました。
自分のことを肯定することは相手を否定することになるかは、わかりませんが
自分のことを肯定も否定もしない
間の感覚が自分の中から沸き上がったのは
とても心地よかったです。
自己肯定の先は
肯定も否定しない境地か。
この感覚を教えてくれた今回の起きた、私の人生の1つの事象。
ここまでも、これからも全てにやんわりと感じる感謝のエネルギーを感じています。