発揮されたがっているもの ⇒「楽しい?」
一か月ほど前の記事で
「私の中で発揮されたがっているものとは?」
というタイトルで書いていた中に
「自分を生きる」
ということばがある。
自分を生きる
とても当たり前のようで
なんだかよくわからない
わからないというか
あいまいだなぁという感覚
でも先日
「楽に楽しく生きたい」
と書いた
「好き」と「楽しい」を思うとき
それぞれどんなふうに
「自分を生きる」につながるのか
「好きなことをしている自分を生きる」
「楽しんでいる自分を生きる」
並べてみると
やっぱり「楽しい」の方が
主体的というか
自然的というか
本人から発揮されているような
かんじがする
好きにも人それぞれあるように
楽しいも人それぞれあるだろう
つまり
楽しいの感覚は
その人だけのものだ
そしてさらに
湧き上がるようなものを感じる
楽しいという感覚
自分を生きるとは
選択 個性 魂 気持ち
楽しいというものの中には
そのどれもが内包されているように思う
楽に楽しく生きたいと思うと
立ち現れる生活の「ためのもの」
社会 お金 関係 家族 常識
期待 不安 欲望 信用 障壁
そこになにか「心のブロック」が
あるんだろうか
楽に楽しく生きることが
自分らしく生きることになり
自分の感覚と繋がることになり
自分の魂を知ることになっていくのだろうか
楽しいとは
どこから現れて
どこへ向かっていくのか
ていねいに
追っていく
2022.2.9 Wed / 23:14
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