己のパンドラの箱

振り返れば、去年は色々な退職の憤りを原動力にX・noteも初めつつ「己をみつめる」とメンタル不調と体調不良を起こし「今は不要な事」を全停止。
まっさらになると、それはそれで不安定という、必然な矛盾で、1年が経ちました。
「幸せに生きる為の講座」の感想を、講師に送る下書きとしてnoteを思い出し、自分の「初めまして」を読み、「もし何かをするなら方向は変わらないんだけど」と苦笑。
「ブレない自分」の基礎工事は数年事かかりそうです。

私の今は「己のパンドラの箱」が開いて、最後に「希望」がホントにあるのか?です。
そして「希望」は何なのか?
経緯は長くなるので、結論を先に。
母の直前認知が酷くなり私が思った事は「ずるい」でした。そして私は、自分が子供として「母の愛」をまだ欲してる事とその為に介護の覚悟をしてた事を自覚しました。
母の認知機能が酷くなる現状は私の母への気持ちや態度を憎しみに変えました。
そして冒頭の「幸せに生きる為の講座」の感想ですが前回の話は「祈り」でした。
講座名は本当は違うのですが、講師が医療・メンタル・薬etc.とお話される本当のメインテーマが「幸せに生きる」だと月1の12回の1年講座を受けてる感想なのです。
「祈り」の感想は説明経過の後に。

ここからは説明経過になります。
「母」は10月末に転倒し直前認知が転げ落ちる様に悪化。身体介護は通院時の車椅子程度ですが、5分間隔の繰り返しと20分間隔の部屋とトイレの行き来があります。相談しようにも、私と医療従事者との齟齬etc.で「人を殺すのは医療ミスだけじゃない」ってホントに叫びました。
支援室に「母を突き飛ばしそうだ」と泣いて電話し「本人希望による透析の中止」を相談してほぼ建前と知り「私が死ねば良いのか?母を殺せば良いのか?」と追い詰められ、2ヶ月強ネグレクト状態になり主人や子供達(小学生含む)が間に入って、母も私もどうにか生きています。
介護認定は介護2となり、支援室の協力で来月は母は短期療養に行きます。ホッとしつつ距離を置ける期間に私がどうなるか?とその後は課題です。

ホントに様々な感情が飛びたし、乗り越えたはずの感情すら憎しみを増し、蓋を閉めたくても蓋は吹っ飛んだ感じです。
希望は残るのでしょうか……。
辛うじて去年始めて継続してるのが上記の講座と参詣。
そして変わらない思いは「人事を尽くして天命を待つ」
人事を尽くしてるか?は自己判断の甘々ですが。
「祈り」は安寧に通じると思います。
意識すれば、いつでもどこでも出来る事で無意識に出来たならば・・安寧なんでしょうか。
求めても得れない事は多くありますが、求めても得れない事は本当に「それ」でないとダメなのでしょうか?
ラジオでキリスト教の教えが流れる時、ふっと「教え」は宗教が違っても通じるものがあるなと、たびたび思います。
私にとって「祈り」は「愛を得る」行為かな?と、ここに書いてみて思いました。
「推し活」が尊く、その人達を救うのも「祈り」に通じるのかも。
「祈り」で愛を得て「人事を尽くして天命を待つ」が出来るならば、安寧に幸せに生きる事が出来る??

たまたま、この記事を目にされた皆様が思い思いの「推し活」で生きる支えを得て、幸せな日々を過ごせます様に(-人-)
「祈り」を宗教と捉えると違う感じが私はあるので(推せる宗教ならそれはそれ。私はここ。なので信者の心得は微妙な人🥲‎)、あえて「推し活」とさせていただきました。

感想はこんなに長く送れないから、要約しないとな。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
Xもですが、日記じゃなくて投稿である事は私にとっては「今」の確認であり、そんな私を知る人がいるという「支え」かな。
否定の無い前向きな社会は可能なのか?って「祈り」を考えて思ったのも書き留めて。







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