映画 「羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)」以下鑑賞直後は「どえらいもんを見た」しか言えなかった…… 以下感想メモ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ・性別不明のフラットなキャラデザイン ・背景美術のデフォルメが鬼 ・作画の躍動感が変態 ・アクションシーンのカメラワーク鬼畜 ・効果音の入り/抜きのタイミングが神 ・レスキュー判断と対応の描写 ・胸元ぽんぽんで死 - - - - - - - - -
絵を描くことが好きだ。 描くことでストレスが溜まることもあれば、描くことでしか救われないこともある。 頭を使って、手を動かして、並べた色を眺めて、数々の場面で描くことに助けられてきた。 問いを立てる絵 ニーズに応える絵 アーティストとしての自分、イラストレーターとしての自分が1つの画風でおさまる必要はないと気付いて、私は随分自由になった。 自己を満足させる絵 2019年末からまた新たな画風でイラストレーションを描きだした。かわいいと思うものを描いただけの、私の
うれしいご報告があります。 セント・メリーズ・インターナショナルスクール(東京)で開催された「2019年度さくらメダルコンテスト」におきまして、自著「繕い屋の娘カヤ」が、中学校の部で受賞されたというご連絡を主宰よりいただきました。 賞状に同封されていた、富士、波、桜のきれいな金色のメダル。少し冷たくてしみじみとする重さ。 さくらメダルコンテストとは国内のインターナショナルスクールの司書と日本語教師が、毎年推薦図書を各カテゴリー(英語と日本語で、小学生・中学生・高校生などに
凡才のデザイナーと天才画家を巡る群像劇「左ききのエレン(ジャンプコミックす)/nifuni、かっぴー」に劇中画を提供しています。 「殺人現場みたいな絵が欲しい」と。これまで目出度さをコンセプトに描いてきた私にとって、衝撃的な依頼でした。 エレンのあらすじを聞いて、プロットを読んで、エレンが擬態して生きることより、自我のまま描くことを生き方に選んだ産声のような絵なんだと思いました。 数億の同胞との生存戦争を勝ち抜き、生命は誕生します。見開く大きな目は、たくさんの死の上に立
令和元年の節句に寄せて、鯉が滝を登り龍になる故事から生まれた龍金シリーズ。 「鯉が龍になれるのならば、金魚が龍になれないはずがない」と、体に雷を纏い天を目指す小龍を描いています。 皆の輪からはみ出すことは怖い。 皆と違うと笑われることは恐ろしい。 ……と分かっていても、皆と同じに進むことが難しくて、興味も持てなくて、やりたいことは他にあって、恐怖も羞恥もあれどそれを上回る愉悦に勝るものはない。孤独を恐れない勇気を持った戦士の絵です。 かたやこちらは金魚の輪の中に潜む龍金
昨年は台湾のグループショーに出展したり、アメリカのFacebookの企画でアーティストとコラボレーションしたり、外国に触れる機会の多い年でした。 海外では現地のお宮や教会に触れ、祈りの形のさまざまを見、これまでより深い祈りの表現について考える機会となりました。改元のタイミングも重なり、否応にも時代の変わり目を見せつけられます。公私共に大きく運命が動く時期だと感じています。 「変身、変容」が今展のサブテーマです。自分の中で定型となっていた獅子狛に変化を与え拡張します。変わっ
ただ好きで今まで続いている活動が、誰かを動かすきっかけになるなんて考えたことがなかったのだけど、最近そういった話題で呼ばれて話をする機会が増えています。 よく聞かれることの整理がてらまとめました。 どうして描いているの? ある日神は言った。 「描け」 私が筆を持つと光が差し込み、線を引くと鳥は歌い、色を差すと項垂れた花はみるみる生気を取り戻した。 という体験は一切なくて、家に白い紙が大量にあり、引っ込み思案な性格が当時ぴったりハマったのがはじまりです。 描くことに
人間や人の文化を描こうと思った時、人間そのものを描くのではなく、古代から人間の伴侶である犬の姿を借りようと思いました。 遥かな時間と距離を移動し、日本に辿り着きその姿となった獅子狛。それは私にとって、文化の血脈を表すモチーフです。 毎秒毎分どこかでブリーディングされ、またどこかで殺処分され、神獣と愛玩動物の間を移ろい、私たちの傍にいてくれる獅子狛。これまでもこれからも、彼らは私たちの業と文化の合せ鏡的存在だと考えます。 「犬の系図」は東京個展の際は同名で展開しています。
カレの意匠制作に取り組んでいます。 タイトルは、友人がカレを言い換えた言葉です。エルメスの図柄集をめくりながらこれを口にしてみると、的を得すぎて他の言葉が見つからない。 描いている最中に思い出した言葉があります。 装飾は徹底して、 具象化及び 視覚化された”幻想”であること 鶴岡 真弓『装飾する魂-日本の文様芸術』 (平凡社・1997) 吉祥をテーマに描きだした2010年頃から愛読している鶴岡先生の本。文様芸術における研究内容の濃さもさることながら、明瞭で優雅な語
SOCIAL FIGHTER AWARDというイベントで、子ども向けの工作ワークショップのお手伝いをしました。オーナーはタキザワケイタさん。 木製モチーフの周りにリボンをあしらってロゼットを作るという内容。 「あなたが素敵、かっこいい思うものを作ろうぜ!」とスタート。 真剣な顔で手を動かしながらも、各々独り言が大きいのが面白かったです。私はそれを逐一拾い「いいね」「そのアイデア最高」「もう一段派手にできる?」「あ、そんなこともやっちゃう? やるじゃん!」と合いの手を入れま
2017年12月、自著「繕い屋の娘カヤ(岩崎書店様)」を上梓しました。 少女と狛犬が神を訪ねる冒険。低学年〜中学年向けの児童文学書で200頁ほどあります。 挿絵も多く、章ごとにテーマカラーが異なり読み進めるのが楽しい仕様です。故郷である愛媛県や瀬戸内を舞台とし、物語の季節は夏。 ちょうど今が読み頃です! 書籍の詳細はこちら→http://kaya.yoriquo.com/ そもそもは絵本の制作依頼だったのですが、第1回打ち合わせの際に、原作は特になく全て自由と言われま
「登竜門」。鯉が龍になるという中国の伝説がある。鯉でなくとも金魚だって本気出せばなれるさという吉祥画を描いています。 異端者扱いされるのは怖い。大切な人に変だと思われるのは辛い。 でも一度覚悟すれば、金魚では見られなかった世界が見える。 〈孤独は心地良い〉幼い頃、両親は共働きで朝はバタバタ。 父の出勤に伴われ、誰もいない保育園の門の前。ヤクルトを飲みながら園の先生が来るのを待つ。夕方は、1人また1人、と迎えに来る誰かの親を見ながら、1つだけ明かりのついた部屋で折り紙
〈色には意味があると思ってた〉小学生低学年まで、事象には色があると感じていた。今も思い出すことができるのは「土曜日は白色」「14時は藍色」の2つ。 それだけをなぜ覚えているかは分からない。頭の中に置き忘れたようにただそこにある記憶だ。 当時は、時計盤の数字や曜日、天気やグーチョキパーにもそれを示す色があった。 ジャンケンでグーを出すと、目のずっと奥の方で瞬間的に色が滲んで見えるという具合。 私にとってそれは自然な現象だったため、誰に話すでもなくそのまま大人になった。大