君はセカイイチだ
もしかしたら君は気づいていないかもしれないんだけど、君ってセカイイチなんだよ。何が出来るとか、何が出来ないとか、何を持ってるとか、何を持ってないとか、そういうことじゃないんだ。わかりにくいかもしれないけど、そろそろ気づいてもいいかもしれない。君はセカイイチだってことに。君が感じてること、聴こえているもの、見えているもの、匂ってしまうもの、そのすべては君だけが感じることが出来るものなんだ。嘘だって思うかもしれないけど、これは本当。あなたの目で耳で手で足で体で頭で背中で生きて感じているのはあなただけ。当たり前のことなんだけどね。近頃って言っても何十年もだけど当たり前があらゆる物事や情報と呼ばれるもので見えなくなってしまっているね。そんな中にいれば不安は増える一方だ。生きるのがつらいってそれは当たり前だよ。話が脱線しそうだ。君がセカイイチだってこと。気づいてもらいたいから話を続けるね。
同じっていうのは、重なってお互いが共鳴している状態のことを言うんだ。例えば、誰かが書いた文書を読んで私と同じだって感じたり、動画やブログやSNSで知ったその人が自分にとても似ている、自分と同じだって感じることがあるでしょう。その同じだって思うときって、強く胸が締め付けられるような誰にも理解してもらえない苦しみを抱えているのが自分だけじゃなかったって感じて嬉しいような切ないようなほっとしたようなやっとやっと出逢えたような涙が溢れてくるようなそんな風にならない?それって、その人に自分が重なって共鳴しているからなんだ。その人の振動に自分が重なって震える、それが共鳴。人間って不思議でさみしい生き物だなって思うのはそこなんだ。人間はひとりじゃ共鳴出来ないってことなんだ。共に鳴ると書いて共鳴。共にってことは、自分以外の誰がそこにはいるんだ。君はセカイイチだろう。共に震えたその誰かもセカイイチだ。音が鳴るっていうのは振動が空気を伝わって鼓膜を震わす。人間のすごいところは、直接の空気を通さなくても共鳴出来るようになったってこと。遠く離れた誰かに画面を通して、音楽を通して、絵を通して、彫刻や、手芸や、アクセサリーや、洋服や…あらゆるものを通して共鳴出来る。セカイイチの君とセカイイチの誰が君と共鳴する。ワンダフルだ。
うまく言えた自信はないんだけど、よくわからないけどなんかわかったってなってるかな?同じって言葉にはくれぐれも注意してね。同じにされちゃって良いことなんてひとつもないよ。僕はそう思う。同じだなんてありえないんだから。信じ込ませようとしているだけ。だから、同じだって感じることがあったら、自分はこの人に共鳴してるんだ。って思ってね。同じ→共鳴って変換が出来れば君はもう大丈夫。そのうち「同じ」っていう言葉はなくなるんじゃないかなって思う。厳密に言えば同じことなんてひとつもないから。言うなれば、酷似しているとか非常によく似ている、とかになるね。よく考えればわかる。同じなんてないってことが。君はセカイイチで、君が誰かに共鳴するってそれはとてもワンダフルだってこと!
君はセカイイチだ
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