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マニピュレーションの記憶

向き合う。

今朝は8時半頃には起きられた。そこそこ動けてはいたのだけど、どうも気分が冴えなかった。

私は謝罪が多い女性が苦手だと思う。特段悪いことも何もしていないのに謝られると、疲れる。先回りして、その人が傷つかないようなメールの文面を心がけたり、謝られた後でフォローのメールを書くのに時間がかかったりと、余計な手間と気遣いが逆に増えるのだ。

私の母は、謝罪貯金をする人だった。謝罪をマニピュレーションの1つの手段として使っている人だった。
自分が悪くなくてもことあるごとに謝罪をし、「私はあなたの前でこんなにも自分を小さくしていますよ」というアピールをし、後で、逆に横暴なことを言ったりしたりする。そのための助走に謝罪を使う人だったのだ。
私はある時からその仕組みに気付き、謝られるたびにシンプルに
「謝らないで。」
とだけ伝え、相手にしないのを徹底したら、謝罪貯金は無くなったように思う。

マニピュレーションの形にも色々なものがある。
私が2019年に別れたカナダの男は、
"Why do you ask?"
と訊く男だった。どうしてそれを訊くのかも何も、訊きたかったからだとしか言いようがなかったのだが、自分は愛する人が私の言動で何か困っているというか、理解できない言葉があったのかと思い、都度都度全力で言葉を探して答えたものだった。
その反面、私がカナダの男の言動に理解できないことがあって、理由を訊いても、それに対して、まともに向き合って答えてくれたことはまるでなかった。
別れる直前ぐらいに、その度重なる"Why do you ask?"について、
"Why do I have to always prepare reasons before talking to you? Unnatural."
(人道的ではないという意味で言った)
と伝えたら、待ってくれ、俺はマニピュラティブに振る舞いたかったわけじゃないと、その時だけは本気で謝られた記憶がある。

そんなマニピュレーションの記憶を不必要な謝罪は私に思い出させるのだ。それで、なんというか、憂鬱になる。

対策というか、そのカナダの男との一件があってから、尚更私は「言行一致」を意識するようにはなった。元々私は平べったい言葉しか言わない人間だったのだけど、この言い方だと裏に別の意図があるように聞こえるかもしれないというのを察知して、言葉を選ぶようになったのだ。
全ての人に対応できているとは思わないが、私は思っていることしか言わないようにしている。口に出した言葉がそのまま私の本音だと言える言葉しか、口にしないように。
が、もちろん「言わない」を選択するのも1つだ。思っていても、口に出すべきではない言葉は言わない。「言わない」を選択することは嘘ではない。

とまあ、こんなことが頭の中に渦巻いていて、午前中は徒労を感じていた。実際、少し風邪っぽくて、昼食を食べた後で熱を測ったら37.1度とかあったのだけどね。
昼食を食べ終えた14時過ぎぐらいから2時間ほど昼寝をしたら、メンタルが驚くほど回復していた。正確に言うと、心身ともになのかな。ジムに行って、有酸素運動とストレッチをして帰ってきたところだ。

日曜日のジャーナリングで、火曜日に録音ができれば・・・とか書いていたと思うのだが、今日は風邪っぽく声がガサガサになってしまったので、録音はできなかった。
明日は会話試験があり、休みの日に何とか19人分の採点をしないといけないこともあり、また少し音楽制作が滞るだろう。

瞑想をして、もう少し状態を整え、できるだけ早く寝てしまおう。

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