自分らしく輝こう。
目覚まし時計の音がする。
雇用される人生を歩むようになってから、念のため毎日目覚ましが決まった時間になるようにしているのだ。
しまった。目覚まし止めるの忘れてた……
今日は休みだというのに、目覚まし時計で睡眠が遮られてしまった。
二度寝してみたものの、中途半端に目が覚めてしまいお布団でのゴロゴロがやめられない。
インスタのおすすめをスクロールしていると、たまに行くご飯屋さんの投稿が流れてきた。
そうだ、今日は省エネモードで生きよう。
ぬるりと起きて、簡単にヨガをやった。
いつもより短めに散歩をしつつ、わたしは朝食を食べにお店へと向かった。
店内はカウンター席が7席あるだけのコンパクトな造り。
そのこぢんまりとした空間が心地よい。
お店へ入ると2席しか空いていなかった。
座れてラッキー!
朝食メニューは鮭定食ひとつのみだ。
こういうシンプルさもお気に入りなポイントである。
ゆるりとした時間が流れる空間で、一品一品味わいながらいただく。
家で食事をするときは大抵動画を見てしまうから、こうしてお食事と向き合える時間は、外で食べることの醍醐味のひとつである。
味噌漬けされた鮭がとても美味しい。
卵焼きも、副菜のお野菜たちも、そしてスープだってぜんぶ美味しい。
とても豊かな時間だった。
時計を見るともう10時になろうとしていた。
なんともまったりとした朝活だ。
そろそろ家に戻って、やることをやってしまおう。
そう思いながら来た道を、のらりくらりと引き返す。
流れる川、行き交う人々に意識が向いた。
じめじめとしたぬるい空気がわたしの中に入ってくる。
そのときだった。
自分自身がとても無力に感じられた。
すれ違う人々もまた無力に感じられた。
「人間って無力なのかもしれない。」
大きな夢を描いたり、何かの役に立とうと奮闘したり。
そんなことしても、実際は無力なのかもしれない。
そうだ、私たちは無力の集合体なんだ。
なぜだかふとそう感じた。
理由を言語化することはできないし、無力という意味をとても曖昧に解釈しているのはわかっている。
けれども、「自分の力で何かを変えよう」とすること自体が無意味なように感じられたのだ。
じゃぁどうしてこの世界にいるんだろう?
わたしの答えはこれだった。
「自分らしく輝くためにここにいる。」
わたしはそう感じた。
地球に生まれた意味をそう感じたのだ。
どんな環境にいようと、どれだけ自分が無力だろうと、自分らしく輝けたらそれでいいのではないか?と。
人間みんなが自分らしく輝いていたら、この地球はもっと美しいものになるだろう。とそう感じた。
輝くという定義は難しい。
けれども、自分自身が輝いていると感じたとき、その輝きは空気中の微生物に伝染するんじゃないかと思う。そうして、その微生物が他者へと輝きを届けてくれるんじゃないかと。
偉いとか、すごいとか、お金持ちとか、そういうのはどうでもいいじゃないか。
自分が自分らしく輝いていたら、それでいいではないか。
他者に認められるためにエネルギーを使うのであれば、わたしは自分を輝かせるためにエネルギーを使いたい。
1分後、1時間後、明日、1年後、。
わたしの未来にとって、とても大切な気づきであった。
まずは今、今日。
自分が輝くために考えようと思う。行動してみようと思う。
みんな違ってみんないい。
それぞれがそれぞれで輝いていてほしい。
そのさきに待っているのは、とても豊かな未来だと思うから。